叢書・ウニベルシタス 830
心・身体・世界 〈新装版〉
三つ撚りの綱/自然な実在論

四六判 / 374ページ / 上製 / 価格 4,620円 (消費税 420円) 
ISBN978-4-588-09940-3 C1310 [2011年06月 刊行]

内容紹介

数理論理学・科学哲学・言語哲学をはじめ多方面のテーマに斬新な思考を提起し、世界の哲学界をリードしてきたパトナムが、形而上学的実在論から内的実在論を経て「自然な実在論」へと自らの哲学的立場を大変身させた注目の書。デカルト以来近世哲学を支配してきた認識論的前提の廃棄を目論み、同時に近年の英米哲学の流行とも言える物理主義的な「心の哲学」、「唯物論的デカルト主義」に先鋭な批判を加える、独創性豊かな「新たなパトナム哲学」の展開。

著訳者プロフィール

H.パトナム(パトナム ヒラリー)

1926年シカゴに生まれる。48年ペンシルベニア大学哲学部卒業。51年カリフォルニア大学(UCLA)で哲学博士号(Ph. D.)を取得。その後、ノースウェスタン、プリンストン、MIT などの大学で教鞭をとり、65年以降はハーバード大学哲学部教授を務め、同大学名誉教授。現代アメリカを代表する哲学者で、論理実証主義の批判的検討をはじめ、数理論理学・科学哲学・言語哲学・心身問題、さらには倫理や歴史の哲学など多方面のテーマについて、斬新なアイデアを提起し、世界の哲学界をリードしてきた。今日「科学について最も良い全体的見通しをもつ哲学者」(シュテークミュラー)と評されている。本書のほかに、『論理学の哲学』『理性・真理・歴史』『事実/価値二分法の崩壊』(以上、法政大学出版局)、『実在論と理性』(勁草書房)などが邦訳されている。

野本 和幸(ノモト カズユキ)

1939年生。東京都立大学・創価大学各名誉教授。現代哲学専攻。著書:『現代の論理的意味論』(岩波書店)、『フレーゲの言語哲学』(勁草書房)、『フレーゲ入門』(同)、『意味と世界』(法政大学出版局)。訳書:編訳『フレーゲ著作集』全6巻(勁草書房)、パトナム『理性・真理・歴史』、ケニー『ウィトゲンシュタイン』『フレーゲの哲学』(以上、法政大学出版局)ほか。

関口 浩喜(セキグチ ヒロキ)

〔翻訳担当:第一の後書き、第二の後書き、(解説)〕
1961年生。福岡大学人文学部教授。現代哲学専攻。著書:『ウィトゲンシュタイン読本』(共著、法政大学出版局)。訳書:パトナム『実在論と理性』(共訳、勁草書房)。

渡辺 大地(ワタナベ ダイチ)

〔翻訳担当:序文、第一部第一講〜第三講、(索引作成)〕
1971年生。桜美林大学非常勤講師。現代哲学専攻。主要論文:「『論理哲学論考』における論理の自律性」(『哲学』第55号)。訳書:ケニー『フレーゲの哲学』(共訳、法政大学出版局)。

池田 さつき(イケダ サツキ)

〔翻訳担当:序文、第二部第一講〜第二講〕
1971年生。千葉大学大学院人文社会科学研究科博士後期課程在籍中。現代哲学専攻。訳書:パトナム『存在論抜きの倫理』(共訳、法政大学出版局)。

岩沢 宏和(イワサワ ヒロカズ)

〔翻訳担当:第二部第三講〕
1966年生。東京都立大学大学院博士課程単位取得退学。現代哲学専攻。著書:『リスク・セオリーの基礎』(培風館)。訳書:ストラウド『君はいま夢を見ていないとどうして言えるのか』(共訳、春秋社)、パトナム『存在論抜きの倫理』(同、 法政大学出版局)。

※上記内容は本書刊行時のものです。

目次

  序文

 第一部 意味・無意味・感覚
     ──人間はどのような心的能力をもつか

第一講 実在論の二律背反とは何か
伝統的な実在論者が仮定してきたこと
実在論が問題となったのはなぜか
「実在論の二律背反」
「内的実在論」
どこで私は道に迷ったか

第二講 オースティンが肝心──「もう一つの素朴さ」の必要性
オースティンと「素朴実在論」への伝統的な反論との対決
センスデータ擁護派の認識論者にはいかなる反論が可能か
「同一説」の空疎さ
知覚における相対性に基づく議論

第三講 認知の相貌
概念形成についての「素朴実在論」
ダメットの反実在論
検証主義に見られる誤り(と洞察)
「あまりに小さくて見えないもの」とコーラ・ダイアモンドによる思考実験
真理に関するウィトゲンシュタインの見解

 第二部 心と身体

第一講 「私は「機械仕掛けの恋人」なるものを思いついた」
デイヴィドソンの擁護
舞台設定──ジェグウォン・キムの反事実的条件文はどこがおかしいか
【機械人形仮説】の前件の理解可能性を再考する
心的性質と物理的性質との「独立性」という問題
「言葉は生活の流れの中にあって初めて意味をもつ」

第二講 何かを〈信じる〉とう心のあり方は「内的状態」か
ギリシャ時代(およびそれ以降)の〈魂〉についての捉え方
〈完全な理解可能性を欠く〉という評価について
直接実在論と〈内なる劇場〉としての心
「内的心理状態」をめぐるキムの議論

第三講 心理-物理相関
前述の議論を批判する
信念を個別化する
狭い内容と「言語能力」
意味の帰属を投影として捉えること
「基礎的行為」
「内的な現象的状態」
「相関」がないとすれば何があるのか

 第三部 後書き

第一の後書き 因果と説明
説明についての実在論と内在主義(キムによる区別)
実在論者は本当は内在主義者なのでは?(そして、その逆も言えるのでは?)
考慮されていなかった選択肢──因果と説明は互いに依存している
心的因果と物理的因果に関するヒューム-エアの見解を否定する
還元主義と理解(不)可能性

第二の後書き 現れは「クオリア」なのか
「クオリア」小史
「共通の要素」が存在する/存在しない
提示としての現れ
動物の知覚に関して一言
主観性と「逆転スペクトル」
本書の話が目指していたこと
しかし私は「意識の問題」を無視してしまったのではないか
最後の一言

  解説 新たなパトナム
  訳者あとがき
  注
  索引