叢書・ウニベルシタス 1114
自由の哲学
カントの実践理性批判
ISBN978-4-588-01114-6 C1310 [2020年06月 刊行]
オトフリート・ヘッフェ(ヘッフェ オトフリート)
(Otfried Höffe)
1943年生。ミュンスター、テュービンゲン、ミュンヘン大学等でリッター、シュルツ、クリングスらの教えを受け、1974年ミュンヘン大学で教授資格取得。1976年にデュースブルク大学哲学正教授。1978–92年スイスのフリブール大学で倫理学と社会哲学の講座主任と社会哲学政治学国際研究所長。1994–2011年、テュービンゲン大学正教授。カントの諸著作の注釈書を多数編纂しており、アリストテレス、ホッブズ、ロールズ等、重要な哲学者を主題とする著書も数多い。邦訳では、『倫理・政治的ディスクール──哲学的基礎・政治倫理・生命医学倫理』(法政大学出版局、1991年)、『イマヌエル・カント』(同、1991年)、『政治的正義──法と国家に関する批判哲学の基礎づけ』(同、1994年)等がすでに刊行されている。
品川 哲彦(シナガワ テツヒコ)
1957年生。哲学・倫理学専攻。京都大学大学院博士後期課程修了。京都大学博士(文学)。現在、関西大学教授。著書に『倫理学入門──アリストテレスから生殖技術、AIまで』(中央公論新社、2020年)、『倫理学の話』(ナカニシヤ出版、2015年)、『正義と境を接するもの──責任という原理とケアの倫理』(同、2007年)、訳書にH.ヨーナス『アウシュヴィッツ以後の神』(法政大学出版局、2009年)等がある。
竹山 重光(タケヤマ シゲミツ)
1960年生。哲学・倫理学専攻。京都大学大学院博士後期課程修了。現在、和歌山県立医科大学准教授。論文に「X線画像とからだ」(『思想』、2001年7月号、岩波書店)等、共訳書に『カント全集』18および22(岩波書店、2002年および2003年)、Chr.コースガード『義務とアイデンティティの倫理学──規範性の源泉』(同、2005年)、H. M. バウムガルトナー『カント入門講義──『純粋理性批判』読解のために』(法政大学出版局、2011年)等がある。
平出 喜代恵(ヒラデ キヨエ)
1986年生。哲学・倫理学専攻。関西大学大学院博士課程後期課程修了。関西大学から博士(文学)を授与。現在、関西大学助教。論文に「カントにおける理性信仰の意義」(『アルケー』23号、関西哲学会、2015年、関西哲学会研究奨励賞)、「カントにおける自己への信頼」(『倫理学研究』48号、関西倫理学会、2018年、関西倫理学会優秀論文賞)等がある。
※上記内容は本書刊行時のものです。引用文献の略記と引用の方法
序 言
第一部 四つの駆動力
第一章 啓 蒙
一・一 自分で考える
一・二 根本モチーフ
一・三 四つの段階
一・四 公共的理性使用と私的理性使用
第二章 批 判
二・一 法廷としての批判
二・二 民主主義的な法廷審理
二・三 なお失せぬ魅力
第三章 道 徳
三・一 カントの著作についての異端的な読み方
三・二 動機の競合か
三・三 知の道具化か
第四章 世界市民主義
四・一 ケーニヒスベルク出身の世界市民
四・二 認識面での世界共和国
四・三 道徳面での世界共和国
四・四 世界市民主義的教育
四・五 その他のもろもろの世界市民主義と決算
第二部 カントによる道徳哲学の革命
第五章 実践哲学としての倫理学
五・一 第二批判の優位
五・二 道徳的関心
五・三 純粋実践理性
五・四 証明の七つの歩み
五・五 決定的に重要なくだり
第六章 幸福の原理にたいする批判
六・一 世間知らずのお説教か
六・二 たんなる形式
六・三 二つの幸福倫理学──アリストテレスと功利主義
第七章 新たな法式──定言命法
七・一 三つの課題
七・二 範型としての自然法則
七・三 例一──うその禁止
七・四 例二──寄託物
七・五 格率倫理学
第八章 意志の自由と理性の事実
八・一 第三の二律背反を顧みる
八・二 自由な意志
八・三 自由より人倫的法則が先行する
八・四 理性の事実
八・五 なぜ道徳的であるべきか──尊敬の感情
八・六 今日の倫理学における論争はカントから何を学ぶことができるか
第三部 カントの挑発
第九章 挑発一──最高善とは
九・一 第一批判と平行しているのか
九・二 当為から希望へ──最高善
九・三 再神学化と幸福主義の残滓か
九・四 たんなる純粋理性の (擬似──) 弁証論
九・五 要請──神と不死性
第一〇章 挑発二──義務と傾向性とは対立するのか
一〇・一 道徳は傾向性と対立する必要があるのか
一〇・二 美しい魂のなかに統一のための何かがあるのか
一〇・三 カントかシラーか
第一一章 挑発三──道徳の「形而上学」とは
一一・一 アリストテレス主義者カント
一一・二 アリストテレス倫理学──形而上学なしで形而上学的
一一・三 カント倫理学──形而上学的で形而上学なし
第一二章 展 望
一二・一 ドイツ観念論から新カント主義まで
一二・二 現代におけるカント
第四部 政治哲学
第一三章 法に関する定言的な命法
一三・一 道徳的な法と実定法との対立
一三・二 形而上学プラス人間学
一三・三 道徳的な法概念
一三・四 六つの機能
一三・五 強制を行なえる権能
第一四章 生得の権利
一四・一 人権の規準
一四・二 「人間性のおかげで」
一四・三 自己自身にたいする法義務
一四・四 含意された人権
一四・五 準──人権
一四・六 平和書への一瞥
第一五章 カントによる平和の正義論
一五・一 すぐれて政治的な論考
一五・二 あふれる革新
一五・三 「王のような諸民族」と王のような人間性
一五・四 現実主義的な将来像
第五部 歴 史
第一六章 世界市民の歴史哲学
一六・一 議論の枠組み
一六・二 テクスト
一六・三 「キュクロプス的学識」に抗して
一六・四 原動力──敵対関係
一六・五 進歩の思想──控えめで不遜
一六・六 認識上の地位のために
第一七章 永遠平和を保証するために
一七・一 擬似──超越論的演繹
一七・二 解決──「自然という偉大な芸術家」
一七・三 外的自然と内的自然
一七・四 国内法、国際法、世界市民法
一七・五 認識上の地位
第一八章 カント以後の、もしくはカントに協調する歴史哲学
一八・一 フリードリヒ・シラー
一八・二 ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル
一八・三 フリードリヒ・ニーチェ
一八・四 展望──むしろカントとともに
第六部 宗 教
第一九章 宗教にたいする理性の限界
一九・一 第四批判というものはない
一九・二 宗教論に先立つ宗教哲学
一九・三 新たな企て
一九・四 中心的主題
一九・五 読み方の多様性
一九・六 暫定的な決算
第二〇章 哲学的聖書解釈学
二〇・一 『学部』の宗教哲学のために
二〇・二 宗教的著作の継続
二〇・三 解釈上の四原則
二〇・四 反 論
第二一章 悪について。悪意について
二一・一 主題の奪還
二一・二 道徳的悪の概念について
二一・三 道徳的悪は存在するか
二一・四 生まれつき悪いということはあるのか
二一・五 道徳は必然的に宗教にいたるか
第七部 展 望
第二二章 教育の目的──陶冶、市民化、道徳化
二二・一 世界市民的教育学
二二・二 教育学的人間学
二二・三 目的──啓蒙
二二・四 教育の四つの目的
二二・五 人間の価値について
二二・六 「子どもは労働することを学ぶべきである」
二二・七 決 算
第二三章 究極目的としての道徳的存在者である人間
二三・一 挑発的なテーゼ
二三・二 体系のなかでの位置づけについて
二三・三 有機体の目的論的体系について
二三・四 目的論的体系としての自然の最終目的
二三・五 究極目的について
訳者によるあとがき
参考文献
事項索引
人名索引
書評掲載
「読書人」(2020年9月18日号/宮村悠介氏・評)に紹介されました。
「図書新聞」(2020年12月12日号/御子柴善之氏・評)に紹介されました。