苦しみに充ちたこの世界から、あらゆる実体、目的、理由、根拠を除去したショーペンハウアー。その哲学は逆説的にも、「生への意志」の否定と廃棄による「自由」を人間にもたらす。ベーメ、シェリング、ヘーゲル、ニーチェそして西田幾多郎との哲学史的な比較検討を通じて、この世界を「平安」「浄福」とともに生きる、「底無き意志」の論理をたどる気鋭の研究。
板橋 勇仁(イタバシ ユウジン)
1971年生まれ。立正大学文学部(哲学科)教授。博士(哲学)。専門は近代ドイツ哲学、近現代日本思想。著書に『西田哲学の論理と方法──徹底的批評主義とは何か』『歴史的現実と西田哲学──絶対的論理主義とは何か』(共に法政大学出版局)、共編著に『ショーペンハウアー読本』(法政大学出版局)、『知の軌跡』(北樹出版)、『存在の意味への探求』(秋山書店)、『哲学 はじめの一歩』(春風社)など。
※上記内容は本書刊行時のものです。序
第一部 ショーペンハウアーにおける意志の否定と自由
第一章 表象と意志──意志の現象としての世界
一 表象と根拠律
二 表象と意志
三 意志の根拠の無さ
四 意志の客体化とイデア
第二章 意志の否定と自由──底無き意志の現象における自由
一 生への意志と苦悩
二 意志の自己認識による意志の否定
三 意志の否定と「無」
四 底無き意志の自由
第二部 ショーペンハウアーと底無き意志の系譜
第三章 意志の否定と〈哲学の方法〉──ヘーゲルの「無」との対話
一 現象の廃棄という思想と〈哲学の方法〉
二 『意志と表象としての世界』とへーゲルの『世界史哲学講義』 におけるインド評価
三 ヘーゲルの『大論理学(第二版)』における「無」の思想の特性
四 ショーペンハウアーにおける「無」の思想と〈哲学の方法〉
第四章 意志の自由における〈自己〉──ニーチェの「力への意志」へ
一 〈自己〉の自由への問い
二 底無き「力への意志」
三 ニヒリズム
四 永劫回帰の「この瞬間」
五 〈自己〉の生の創造
六 ショーペンハウアーにおける〈底無き意志の自由〉と〈自己〉
第五章 意志の否定と底無き自覚──初期・中期西田哲学の「直観」から
一 〈底無き意志〉と〈自己〉の自己認識
二 『善の研究』における底無き経験
三 唯一活動としての底無き意志──西田のショーペンハウアー理解の特性
四 意志の否定と自己認識──「知的直観」
五 意志における活動性と静性
六 底無き活動の「場所」──『働くものから見るものへ』
七 底無き活動の自覚としての「直観」
第六章 底無き自覚と自由──後期西田哲学の「行為的直観」から
一 底無き活動の自覚とその実践性への問い
二 〈限定するものなき限定〉としての自覚
三 自覚の矛盾的自己同一
四 行為的直観の世界とその「動揺」
五 我々の自己の「我執」と絶対者
六 自己の〈底無き自由〉
第七章 意志の自由の脱‐自性──シェリングの「Ekstase」をめぐって
一 ショーペンハウアーのシェリングへの態度
二 『エアランゲン講義』における永遠なる自由
三 「Ekstase」における自由
四 自己根拠的な次元を超えて
第八章 意志の自由と想像/構想の活動──ベーメの「Imagination」を手引きとして
一 ベーメとショーペンハウアー
二 底無き「唯一なる意志」
三 神の「Imagination」
四 底無き和合の共‐想像/構想
五 意志の自由としての共‐想像/構想
結
註
あとがき
人名索引/事項索引
第一部 ショーペンハウアーにおける意志の否定と自由
第一章 表象と意志──意志の現象としての世界
一 表象と根拠律
二 表象と意志
三 意志の根拠の無さ
四 意志の客体化とイデア
第二章 意志の否定と自由──底無き意志の現象における自由
一 生への意志と苦悩
二 意志の自己認識による意志の否定
三 意志の否定と「無」
四 底無き意志の自由
第二部 ショーペンハウアーと底無き意志の系譜
第三章 意志の否定と〈哲学の方法〉──ヘーゲルの「無」との対話
一 現象の廃棄という思想と〈哲学の方法〉
二 『意志と表象としての世界』とへーゲルの『世界史哲学講義』 におけるインド評価
三 ヘーゲルの『大論理学(第二版)』における「無」の思想の特性
四 ショーペンハウアーにおける「無」の思想と〈哲学の方法〉
第四章 意志の自由における〈自己〉──ニーチェの「力への意志」へ
一 〈自己〉の自由への問い
二 底無き「力への意志」
三 ニヒリズム
四 永劫回帰の「この瞬間」
五 〈自己〉の生の創造
六 ショーペンハウアーにおける〈底無き意志の自由〉と〈自己〉
第五章 意志の否定と底無き自覚──初期・中期西田哲学の「直観」から
一 〈底無き意志〉と〈自己〉の自己認識
二 『善の研究』における底無き経験
三 唯一活動としての底無き意志──西田のショーペンハウアー理解の特性
四 意志の否定と自己認識──「知的直観」
五 意志における活動性と静性
六 底無き活動の「場所」──『働くものから見るものへ』
七 底無き活動の自覚としての「直観」
第六章 底無き自覚と自由──後期西田哲学の「行為的直観」から
一 底無き活動の自覚とその実践性への問い
二 〈限定するものなき限定〉としての自覚
三 自覚の矛盾的自己同一
四 行為的直観の世界とその「動揺」
五 我々の自己の「我執」と絶対者
六 自己の〈底無き自由〉
第七章 意志の自由の脱‐自性──シェリングの「Ekstase」をめぐって
一 ショーペンハウアーのシェリングへの態度
二 『エアランゲン講義』における永遠なる自由
三 「Ekstase」における自由
四 自己根拠的な次元を超えて
第八章 意志の自由と想像/構想の活動──ベーメの「Imagination」を手引きとして
一 ベーメとショーペンハウアー
二 底無き「唯一なる意志」
三 神の「Imagination」
四 底無き和合の共‐想像/構想
五 意志の自由としての共‐想像/構想
結
註
あとがき
人名索引/事項索引
書評掲載
『比較思想研究』第43号、2017年(井上克人氏・評)にて紹介されました。
『実存思想論集』第32号、2017年(嶺秀樹氏・評)にて紹介されました。
『西田哲学会年報』第14号、2017年(田中裕氏・評)にて紹介されました。
「European Journal of Japanese Philosophy」(第2号、2017年9月/Imono Mika氏・評)にて紹介されました。