叢書・ウニベルシタス 1094
ハイデガー=レーヴィット往復書簡
1919–1973
ISBN978-4-588-01094-1 C1310 [2019年06月 刊行]
マルティン・ハイデガー(ハイデガー マルティン)
(Martin Heidegger)
1889年、ドイツ南西部、メスキルヒ生まれ。20世紀最大の哲学者の一人と呼ばれる。フライブルク大学で当初神学を専攻し、のち哲学専攻に転じ、リッカート、フッサールに学ぶ。1919年、フライブルク大学私講師となり、「事実性の解釈学」を講じる。マールブルク大学員外教授、教授を経て、1928年フライブルク大学教授。多くの優秀な弟子を育てる。1927年、普遍的存在論の書『存在と時間』を出版、爆発的反響を呼ぶ。1933年から翌年まで、ヒトラー政権のもとでフライブルク大学長。1976年、フライブルクで死去、メスキルヒに埋葬。他の主要な著書は『哲学への寄与論考』、『ニーチェ』、『道標』、『杣道』、『講演と論文』、『言語への途上』など。全集は100巻をこえる。
カール・レーヴィット(レーヴィット カール)
(Karl Löwith)
1897年、ミュンヘン生まれ。第一次世界大戦に従軍し、大けがを負いイタリア軍の捕虜となる。戦後1917年からミュンヘン大学で生物学と哲学を専攻。1919年フライブルク大学に移り、シュペーマン、フッサール、ハイデガーに学ぶ。ハイデガーの最初期の弟子の一人で、1928年ハイデガーのもとで教授資格を得る。その後、マールブルク大学で私講師。1934年ナチドイツを逃れてローマに滞在するが、1936年ナチの影響を避け、ハイデガーの推薦で仙台の東北帝国大学で教えることとなる。1941年三国同盟の日本からアメリカに亡命。1952年から1964年までハイデルベルク大学教授。1973年死去。その哲学的生涯は、常にハイデガーとの関係を抜きには語ることはできず、ハイデガー批判者であり、また、歴史に定位する思惟を批判し続けた。主著は、『ヘーゲルからニーチェへ』、『ニーチェの哲学』、『ハイデガー──乏しき時代の思索者』など。
後藤 嘉也(ゴトウ ヨシヤ)
1953年生まれ。東北大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。現在、北海道教育大学名誉教授。単著は『ハイデガーにおける循環と転回─他なるものの声』(東北大学出版会)、『哲学書概説シリーズXI ハイデガー『存在と時間』』、『ハイデガーとともに、ハイデガーに抗して─無意味な世界における意味の誕生』(以上、晃洋書房)。主な訳書は『ハイデッガー カッセル講演』(平凡社)、『フィヒテ─シェリング往復書簡』、H.ハイムゼート『近代哲学の精神─西洋形而上学の六つの大テーマと中世の終わり』、H.ブルーメンベルク『コペルニクス的宇宙の生成Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ』(以上共訳、法政大学出版局)。
小松 恵一(コマツ ケイイチ)
1954年生まれ。東北大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学。現在、仙台大学教授。レーヴィット関係の論文は「森鴎外とカール・レーヴィット覚書」(「ヨーロッパ研究」6、東北大学)、「レーヴィットにおける「歴史と理性」の帰趨」(「東北哲学会年報」27)、「歴史の空間性と時間性:レーヴィット、ブルクハルト、武田泰淳」(「フィロソフィア・イワテ」43)、「レーヴィット、アンダース、マルクーゼ─弟子たちのそれぞれの道」(『続・ハイデガー読本』法政大学出版局)。主な訳書はディーター・ヘンリッヒ『フィヒテの根源的洞察』(共訳、法政大学出版局)、ノルベルト・ヒンスケ『現代に挑むカント』(共訳、晃洋書房)。
※上記内容は本書刊行時のものです。往復書簡 1919–1973
書簡1〜書簡124
補 遺
1 エリーザベト・フェルスター=ニーチェのカール・レーヴィット宛て書簡(一九二七年) 293
2 レーヴィットの教授資格論文についてのハイデガーの所見(一九二八年) 295
3 カール・レーヴィットのイタリア日記から(一九三六年) 300
4 アーダ・レーヴィット=クレマーのエルフリーデ・ハイデガー=ペトリ宛て書簡(一九七六年) 307
5 トートナウベルクのハイデガー家の山小屋帖へのレーヴィットの書き込み(一九二四年) 308
6 レーヴィットが出席したハイデガーの講義・演習一覧 309
編者あとがき
付 録
略 号
マルティン・ハイデガー略年譜
カール・レーヴィット略年譜
カール・レーヴィットの著作(抜粋)
収録ドキュメント一覧
画像の説明
訳者あとがき
人名索引
書評掲載
「読書人」(2019年10月18日号/齋藤元紀氏・評)に紹介されました。
「図書新聞」(2019年11月2日号/平田裕之氏・評)に紹介されました。