芸術や美学、哲学の思想史の中でたえず問われてきた崇高とは何か。カント、ロンギノスを読み直しプッサンの絵を分析し、リオタールらが崇高概念の再思考を試みる。
梅木 達郎(ウメキ タツロウ)
1957─2005年。東北大学大学院文学研究科博士後期課程(フランス語フランス文学専攻)単位取得満期退学、東北大学大学院国際文化研究科助教授。フランス現代文学・現代思想。著書に『放浪文学論──ジャン・ジュネの余白に』(東北大学出版会)、『脱構築と公共性』(松籟社)、『セリーヌを読む』(共著,国書刊行会)、『支配なき公共性──デリダ・灰・複数性』(洛北出版)、『サルトル──失われた直接性をもとめて』(日本放送出版協会)、翻訳にドゥギー『尽き果てることなきものへ』(松籟社)、セリーヌ『ノルマンス』(国書刊行会)、デリダ『火ここになき灰』(松籟社)、ジュネ『シャティーラの四時間』(共訳、インスクリプト)などがある。
※上記内容は本書刊行時のものです。序言 (ジャン=リュック・ナンシー)
大‐言 (ミシェル・ドゥギー)
崇高な捧げもの (ジャン=リュック・ナンシー)
カントあるいは崇高なるものの単純さ
(エリアーヌ・エスクーバ)
崇高なる真理 (フィリップ・ラクー=ラバルト)
崇高なるものの関心 (ジャン=フランソワ・リオタール)
世界の贈与 (ジャコブ・ロゴザンスキー)
悲劇と崇高性 (ジャン=フランソワ・クルティーヌ)
プッサンの一枚の絵におけるバベルの塔について
(ルイ・マラン)
大‐言 (ミシェル・ドゥギー)
崇高な捧げもの (ジャン=リュック・ナンシー)
カントあるいは崇高なるものの単純さ
(エリアーヌ・エスクーバ)
崇高なる真理 (フィリップ・ラクー=ラバルト)
崇高なるものの関心 (ジャン=フランソワ・リオタール)
世界の贈与 (ジャコブ・ロゴザンスキー)
悲劇と崇高性 (ジャン=フランソワ・クルティーヌ)
プッサンの一枚の絵におけるバベルの塔について
(ルイ・マラン)