アーレントが見出した「活動」の奇蹟と、哲学カフェ実践の軌跡。人生のさまざまな困難の当事者を含め、誰もが平等に声を発し、互いに耳を傾け、その人固有の存在として現われることのできる新しい政治的公共性の場所づくりが、いま求められている。哲学とその外を往還し、村上春樹と悪のモチーフ、建築や臨床の知の具体例から、「私たち」の感覚を取り戻し、思考なき全体主義を克服する道を探る好著。
三浦 隆宏(ミウラ タカヒロ)
1975年三重県生まれ。2004年大阪大学大学院文学研究科博士後期課程(文化形態論専攻,臨床哲学専門分野)単位修得退学。博士(文学,大阪大学)。現在,椙山女学園大学人間関係学部准教授。専門は倫理学・臨床哲学。共著書に『生きる場からの哲学入門』(大阪哲学学校編,新泉社,2019年),『グローバル世界と倫理』(ナカニシヤ出版,2008年)ほかがある。
※上記内容は本書刊行時のものです。まえがき
第Ⅰ部 複数性・活動・自由──アーレントにおける〈政治〉をめぐって
第1章 他者の存在を必要とするということ──複数性という人間の条件
1 〈あいだ〉の破壊、あるいは不在
全体主義 ハイデガー 政治
2 活動の条件──他者の存在を必要とするということ
活動の特徴 いくつかの反論 活動の開示的性格 差異性と唯一性
第2章 活動の一つの範例──哲学カフェという営み
1 哲学カフェのとある風景
2 平等、意見、現われ
3 進行役とはどういう存在か
4 〈場所〉と〈空間〉
5 哲学カフェの「哲学」性
6 席をもうけるということ
第3章 〈政治〉の存在理由──活動において経験される〈自由〉
1 《全体主義》の本性
2 「自由の政治的、前哲学的な伝統に立ち戻る」理由
3 内的自由──自分自身との交わり
4 内省、世界疎外、孤立
5 政治的自由──他者との交わり
6 始めることと奇蹟を実演すること
補論1 薄明かりの〈平等〉──アーレントの政治的平等論の射程
1 新たな政治学を求めて──トクヴィルとアーレント
2 評論「リトルロックについての考察」
3 平等の原理のジレンマ
4 政治的平等と社会的差別
5 「人間の努力の産物」としての平等
6 活動による平等化の実例
第Ⅱ部 哲学と市民のあいだ──〈世界〉を愛するということ
第4章 活動の奇蹟──「諸権利をもつ権利」という言葉
1 「人権」という理念の問題点
2 哲学から政治理論への転回点
3 「諸権利をもつ権利」とは何か
4 〈世界〉を創り出すという発想
5 個人的な経験をもとにした思考
6 アドヴォカシーという活動へ
第5章 「私たち」という感覚を育むために──哲学カフェとシティズンシップ
1 哲学カフェとサイエンスカフェの違い
2 アクティブラーニングとしての哲学カフェ?
3 進行役とはどういう存在か・再考
4 カフェという〈第三の場〉
5 哲学カフェの政治的な意義
6 場が育つということ
補論2 哲学への弱い紐帯──中之島哲学コレージュでの哲学カフェ
1 アートエリアB1の特殊性
2 大人数で行なう哲学カフェの醍醐味
3 「いろんな人々の意見を聞けてよかった」
4 「ウィーク・タイズ」としての哲学カフェ
5 私にとっての中之島哲学コレージュ
第6章 活動しながら考える──活動と思考との失われた環
1 思考は何でないか
2 思考の本質──〈一者のなかの二者〉
3 思考と比喩的な言論
4 思考と活動の区別への問い
5 アイヒマン裁判が思考論へ及ぼした影響
6 活動しながら考える──ソクラテスという蝶番
Interlude 砂漠のなかのオアシス
──沖仲士の哲学者ホッファーとアーレントの邂逅
1 エリック・ホッファー、その〈声〉と〈思想〉
2 一九五五年二月、バークレー
3 ホッファーとアーレントの共通点と相違点
4 ホッファーにおける生きる場での哲学
第Ⅲ部 活動を支え、語り継ぐものたち アーレント政治理論の一つの帰趨
第7章 「思考の道徳性」のアポリア──アーレントの道徳哲学講義
1 全体主義、根源的な悪、活動
2 アイヒマン、凡庸な悪、思考
3 真の道徳的な問題
4 道徳哲学の核心?
5 思考の二重の難点
6 意志の要請と判断力への期待
補論3 「悪」をめぐる二つのルポ──アーレントと村上春樹が向き合ったもの
1 『エルサレムのアイヒマン』が採用した語り
2 『アンダーグラウンド』の手法としての聞き書き
3 「悪の凡庸さ」という言葉
4 「動き回る善と悪」あるいは「均衡そのものが善」
5 「壁と卵」──あるいはシステムと一人ひとりの人間
6 無思考という悪
7 私たちの内側に潜む悪
第8章 閾と語り──ナラティヴ・コミュニティ試論
1 閾、住み開き、共
2 臨床とナラティヴ
3 喪失の語り
4 〈カフェ〉が果たす役割
5 回復の語りをもたらすもの
6 新たな語りが生み出されるということ
第9章 観客と歴史家──あるいは傍観者、詩人、物語作家らをめぐって
1 観客とはどういう存在か
2 アクター、観客、哲学者
3 傍観者、見物人というあり方
4 歴史家の使命
5 詩人と物語作家の政治的機能
6 物語ることの意味
あとがき
引用・参考文献
事項索引
人名索引
第Ⅰ部 複数性・活動・自由──アーレントにおける〈政治〉をめぐって
第1章 他者の存在を必要とするということ──複数性という人間の条件
1 〈あいだ〉の破壊、あるいは不在
全体主義 ハイデガー 政治
2 活動の条件──他者の存在を必要とするということ
活動の特徴 いくつかの反論 活動の開示的性格 差異性と唯一性
第2章 活動の一つの範例──哲学カフェという営み
1 哲学カフェのとある風景
2 平等、意見、現われ
3 進行役とはどういう存在か
4 〈場所〉と〈空間〉
5 哲学カフェの「哲学」性
6 席をもうけるということ
第3章 〈政治〉の存在理由──活動において経験される〈自由〉
1 《全体主義》の本性
2 「自由の政治的、前哲学的な伝統に立ち戻る」理由
3 内的自由──自分自身との交わり
4 内省、世界疎外、孤立
5 政治的自由──他者との交わり
6 始めることと奇蹟を実演すること
補論1 薄明かりの〈平等〉──アーレントの政治的平等論の射程
1 新たな政治学を求めて──トクヴィルとアーレント
2 評論「リトルロックについての考察」
3 平等の原理のジレンマ
4 政治的平等と社会的差別
5 「人間の努力の産物」としての平等
6 活動による平等化の実例
第Ⅱ部 哲学と市民のあいだ──〈世界〉を愛するということ
第4章 活動の奇蹟──「諸権利をもつ権利」という言葉
1 「人権」という理念の問題点
2 哲学から政治理論への転回点
3 「諸権利をもつ権利」とは何か
4 〈世界〉を創り出すという発想
5 個人的な経験をもとにした思考
6 アドヴォカシーという活動へ
第5章 「私たち」という感覚を育むために──哲学カフェとシティズンシップ
1 哲学カフェとサイエンスカフェの違い
2 アクティブラーニングとしての哲学カフェ?
3 進行役とはどういう存在か・再考
4 カフェという〈第三の場〉
5 哲学カフェの政治的な意義
6 場が育つということ
補論2 哲学への弱い紐帯──中之島哲学コレージュでの哲学カフェ
1 アートエリアB1の特殊性
2 大人数で行なう哲学カフェの醍醐味
3 「いろんな人々の意見を聞けてよかった」
4 「ウィーク・タイズ」としての哲学カフェ
5 私にとっての中之島哲学コレージュ
第6章 活動しながら考える──活動と思考との失われた環
1 思考は何でないか
2 思考の本質──〈一者のなかの二者〉
3 思考と比喩的な言論
4 思考と活動の区別への問い
5 アイヒマン裁判が思考論へ及ぼした影響
6 活動しながら考える──ソクラテスという蝶番
Interlude 砂漠のなかのオアシス
──沖仲士の哲学者ホッファーとアーレントの邂逅
1 エリック・ホッファー、その〈声〉と〈思想〉
2 一九五五年二月、バークレー
3 ホッファーとアーレントの共通点と相違点
4 ホッファーにおける生きる場での哲学
第Ⅲ部 活動を支え、語り継ぐものたち アーレント政治理論の一つの帰趨
第7章 「思考の道徳性」のアポリア──アーレントの道徳哲学講義
1 全体主義、根源的な悪、活動
2 アイヒマン、凡庸な悪、思考
3 真の道徳的な問題
4 道徳哲学の核心?
5 思考の二重の難点
6 意志の要請と判断力への期待
補論3 「悪」をめぐる二つのルポ──アーレントと村上春樹が向き合ったもの
1 『エルサレムのアイヒマン』が採用した語り
2 『アンダーグラウンド』の手法としての聞き書き
3 「悪の凡庸さ」という言葉
4 「動き回る善と悪」あるいは「均衡そのものが善」
5 「壁と卵」──あるいはシステムと一人ひとりの人間
6 無思考という悪
7 私たちの内側に潜む悪
第8章 閾と語り──ナラティヴ・コミュニティ試論
1 閾、住み開き、共
2 臨床とナラティヴ
3 喪失の語り
4 〈カフェ〉が果たす役割
5 回復の語りをもたらすもの
6 新たな語りが生み出されるということ
第9章 観客と歴史家──あるいは傍観者、詩人、物語作家らをめぐって
1 観客とはどういう存在か
2 アクター、観客、哲学者
3 傍観者、見物人というあり方
4 歴史家の使命
5 詩人と物語作家の政治的機能
6 物語ることの意味
あとがき
引用・参考文献
事項索引
人名索引
書評掲載
「朝日新聞」(2020年9月19日付/長谷川逸子氏・評)に紹介されました。
『図書新聞』2020年11月14日号にて、「いまこそハンナ・アーレントを読むとき──格好の三冊」という特集で紹介されました。