主著『現出の本質』をはじめとする著作群で絶対的な〈生〉と内在の思想を練り上げ、西洋哲学の歴史を批判するとともに、20世紀後半のフランス現象学に大きな足跡を残したミシェル・アンリ。レジスタンスに身を投じ、現代文明の野蛮やマルクスの可能性を論じ、小説作品も残した孤高の哲学者の全体像を、日仏の執筆者約30名が総力を挙げて多面的に描く。アンリ生誕100年・没後20年記念出版。
川瀬 雅也(カワセ マサヤ)
1968年生。神戸女学院大学教授。著書:『生の現象学とは何か──ミシェル・アンリと木村敏のクロスオーバー』(法政大学出版局)、訳書:オーディ『ミシェル・アンリ』(勁草書房)。
米虫 正巳(コメムシ マサミ)
1967年生。関西学院大学教授。著書:『自然の哲学史』(講談社)、編著:『フランス現象学の現在』(法政大学出版局)、共編著:『主体の論理・概念の倫理』(以文社)。
村松 正隆(ムラマツ マサタカ)
1972年生。北海道大学教授。著書:『〈現われ〉とその秩序──メーヌ・ド・ビラン研究』(東信堂)、共訳書:ラヴェッソン『十九世紀フランス哲学』(知泉書館)。
伊原木 大祐(イバラギ ダイスケ)
1975年生。京都大学准教授。著書:『レヴィナス 犠牲の身体』(創文社)、共著:『宗教史学論叢26 越境する宗教史』(リトン)。
※上記内容は本書刊行時のものです。まえがき
凡例
著作一覧
第Ⅰ部 ミシェル・アンリの軌跡 【川瀬雅也】
コラム❶ ミシェル・アンリの思い出 【ロラン・ヴァシャルド】
第Ⅱ部 西洋哲学史を読み解くミシェル・アンリ
1 アンリとドイツ神秘主義──『現出の本質』におけるエックハルト理解を中心に 【阿部善彦】
2 アンリと合理主義哲学──デカルト、そしてスピノザ 【上野 修】
3 アンリとフランス哲学──「感情」の哲学の系譜 【村松正隆】
4 アンリとカントおよびドイツ観念論──生と反省をめぐって 【服部敬弘】
5 アンリと生の哲学──情感性をめぐる解釈の葛藤 【伊原木大祐】
6 アンリとマルクス──「歴史の基礎は〈生ける諸個人〉にある」 【水野浩二】
7 アンリとドイツ現象学──現象の根源をめぐる対話 【景山洋平】
8 アンリとフランス現象学──意識の現象学から生の現象学へ 【加國尚志】
コラム❷ ミシェル・アンリのために 【ディディエ・フランク】
第Ⅲ部 ミシェル・アンリにおける主要テーマ
1 感情と自己──アンリの生の現象学の端緒 【北村 晋】
2 身体と肉──「主観的でありエゴそれ自体である身体」 【村瀬 鋼】
3 他者と共同体──アンリ哲学の外部という問題 【吉永和加】
4 無意識の探究──真理と誕生の経験 【本間義啓】
5 文化と野蛮──科学的文化と生の文化 【野村直正】
6 芸術の意味──拡張された生としての芸術 【本郷 均】
7 生の現象学とキリスト教──〈受─肉〉の現象学におけるキリストの言葉の役割 【古荘匡義】
8 アンリと文学
① 文学作品から引用するアンリ──真理への入口 【佐藤勇一】
② 小説を書くアンリ──「生」の真理と人間の社会 【村松正隆
③ [付録]『若き士官』紹介 【村松正隆】
コラム❸ 想い出 遙か ミシェル・アンリとの出会い 【松永澄夫】
第Ⅳ部 ミシェル・アンリと現代思想
1 アンリとリクール──アリーナとしてのマルクス解釈 【越門勝彦】
2 アンリとドゥルーズ──「内在主義」の同一性と差異 【米虫正巳】
3 アンリとデリダ──現前・ロゴス・生をめぐるニアミス 【亀井大輔】
4 アンリとナンシー──生と存在、(不)可能な交差 【柿並良佑】
5 アンリと西田幾多郎──「生の根底」に触れる 【杉村靖彦】
6 アンリと木村敏──「自己」をめぐる問い 【川瀬雅也】
7 アンリとラリュエル──生の現象学か非─哲学か 【米虫正巳】
8 アンリとバディウ──一瞬の遭遇 【米虫正巳】
9 アンリとジラール──「相互性」という病 【村松正隆】
10 アンリとマリオン──現象学の継承と深化 【伊原木大祐】
11 アンリとロゴザンスキー──不実な忠実さ 【本間義啓】
12 アンリと山形賴洋──内在の他性と流れ 【平光哲朗】
主要著作解題
1 『現出の本質』(一九六三) 【池田裕輔】
2 『身体の哲学と現象学─ビラン存在論についての試論』(一九六五) 【佐藤勇一】
3 『マルクス』(一九七六) 【松田智裕】
4 『精神分析の系譜─失われた始源』(一九八五) 【佐藤 愛】
5 『野蛮』(一九八七) 【根無一行】
6 『見えないものを見る─カンディンスキーについて』(一九八八) 【落合 芳】
7 『実質的現象学』(一九九〇) 【池田裕輔】
8 『共産主義から資本主義へ─破局の理論』(一九九〇) 【柿並良佑】
9 『我は真理なり─キリスト教の哲学のために』(一九九六) 【川瀬雅也】
10 『受肉─肉の哲学』(二〇〇〇) 【樋口雄哉】
11 『キリストの言葉』(二〇〇二) 【武藤剛史】
12 『スピノザの幸福』(二〇〇四) 『生の現象学』全五巻(二〇〇三─二〇一五) 【村松正隆】
13 小 説 【村松正隆】
ミシェル・アンリ略年表 【中村行志】
事項索引
人名索引
凡例
著作一覧
第Ⅰ部 ミシェル・アンリの軌跡 【川瀬雅也】
コラム❶ ミシェル・アンリの思い出 【ロラン・ヴァシャルド】
第Ⅱ部 西洋哲学史を読み解くミシェル・アンリ
1 アンリとドイツ神秘主義──『現出の本質』におけるエックハルト理解を中心に 【阿部善彦】
2 アンリと合理主義哲学──デカルト、そしてスピノザ 【上野 修】
3 アンリとフランス哲学──「感情」の哲学の系譜 【村松正隆】
4 アンリとカントおよびドイツ観念論──生と反省をめぐって 【服部敬弘】
5 アンリと生の哲学──情感性をめぐる解釈の葛藤 【伊原木大祐】
6 アンリとマルクス──「歴史の基礎は〈生ける諸個人〉にある」 【水野浩二】
7 アンリとドイツ現象学──現象の根源をめぐる対話 【景山洋平】
8 アンリとフランス現象学──意識の現象学から生の現象学へ 【加國尚志】
コラム❷ ミシェル・アンリのために 【ディディエ・フランク】
第Ⅲ部 ミシェル・アンリにおける主要テーマ
1 感情と自己──アンリの生の現象学の端緒 【北村 晋】
2 身体と肉──「主観的でありエゴそれ自体である身体」 【村瀬 鋼】
3 他者と共同体──アンリ哲学の外部という問題 【吉永和加】
4 無意識の探究──真理と誕生の経験 【本間義啓】
5 文化と野蛮──科学的文化と生の文化 【野村直正】
6 芸術の意味──拡張された生としての芸術 【本郷 均】
7 生の現象学とキリスト教──〈受─肉〉の現象学におけるキリストの言葉の役割 【古荘匡義】
8 アンリと文学
① 文学作品から引用するアンリ──真理への入口 【佐藤勇一】
② 小説を書くアンリ──「生」の真理と人間の社会 【村松正隆
③ [付録]『若き士官』紹介 【村松正隆】
コラム❸ 想い出 遙か ミシェル・アンリとの出会い 【松永澄夫】
第Ⅳ部 ミシェル・アンリと現代思想
1 アンリとリクール──アリーナとしてのマルクス解釈 【越門勝彦】
2 アンリとドゥルーズ──「内在主義」の同一性と差異 【米虫正巳】
3 アンリとデリダ──現前・ロゴス・生をめぐるニアミス 【亀井大輔】
4 アンリとナンシー──生と存在、(不)可能な交差 【柿並良佑】
5 アンリと西田幾多郎──「生の根底」に触れる 【杉村靖彦】
6 アンリと木村敏──「自己」をめぐる問い 【川瀬雅也】
7 アンリとラリュエル──生の現象学か非─哲学か 【米虫正巳】
8 アンリとバディウ──一瞬の遭遇 【米虫正巳】
9 アンリとジラール──「相互性」という病 【村松正隆】
10 アンリとマリオン──現象学の継承と深化 【伊原木大祐】
11 アンリとロゴザンスキー──不実な忠実さ 【本間義啓】
12 アンリと山形賴洋──内在の他性と流れ 【平光哲朗】
主要著作解題
1 『現出の本質』(一九六三) 【池田裕輔】
2 『身体の哲学と現象学─ビラン存在論についての試論』(一九六五) 【佐藤勇一】
3 『マルクス』(一九七六) 【松田智裕】
4 『精神分析の系譜─失われた始源』(一九八五) 【佐藤 愛】
5 『野蛮』(一九八七) 【根無一行】
6 『見えないものを見る─カンディンスキーについて』(一九八八) 【落合 芳】
7 『実質的現象学』(一九九〇) 【池田裕輔】
8 『共産主義から資本主義へ─破局の理論』(一九九〇) 【柿並良佑】
9 『我は真理なり─キリスト教の哲学のために』(一九九六) 【川瀬雅也】
10 『受肉─肉の哲学』(二〇〇〇) 【樋口雄哉】
11 『キリストの言葉』(二〇〇二) 【武藤剛史】
12 『スピノザの幸福』(二〇〇四) 『生の現象学』全五巻(二〇〇三─二〇一五) 【村松正隆】
13 小 説 【村松正隆】
ミシェル・アンリ略年表 【中村行志】
事項索引
人名索引
■ 執筆者(掲載順)
ロラン・ヴァシャルド(Roland Vaschalde) 1951年生。元図書館上級司書。著書:À l’Orient de Michel Henry、Épreuve de soi et vérité du monde : depuis Michel Henry(以上、Orizons)、Suivant Michel Henry(L’Harmattan).
阿部善彦(あべ・よしひこ) 立教大学教授。共編著:『テオーシス──東方・西方教会における人間神化思想の伝統』(教友社)。共著:『古代キリスト教の女性』(教友社)、『キリスト教神学命題集』(教文館)。
上野 修(うえの・おさむ) 1951年生。大阪大学名誉教授。著書:『スピノザの世界』(講談社)、『デカルト、ホッブズ、スピノザ』(講談社)、『スピノザ『神学政治論』を読む』(筑摩書房)。
服部敬弘(はっとり・ゆきひろ) 1981年生。同志社大学准教授。共著:『フランス現象学の現在』(法政大学出版局)、共訳書:フランク『他者のための一者──レヴィナスと意義』(法政大学出版局)。
水野浩二(みずの・こうじ) 1952年生。元札幌国際大学教授。著書:『倫理と歴史 一九六〇年代のサルトルの倫理学』(月曜社)、共訳書:サルトル『イマジネール』(講談社学術文庫)。
景山洋平(かげやま・ようへい) 1982年生。関西学院大学准教授。著書:『「問い」から始まる哲学入門』(光文社)、『出来事と自己変容──ハイデガー哲学の構造と生成における自己性の問題』(創文社)。
加國尚志(かくに・たかし) 1963年生。立命館大学教授。著書:『自然の現象学──メルロ゠ポンティと自然の哲学』(晃洋書房)、『沈黙の詩法──メルロ゠ポンティと表現の哲学』(晃洋書房)。
ディディエ・フランク(Didier Franck) 1947年生。パリ・ナンテール大学名誉教授。著書:『他者のための一者』(法政大学出版局)、『現象学を超えて』『ハイデッガーとキリスト教』(以上、萌書房)。
北村 晋(きたむら・すすむ) 元早稲田大学講師。論文:「表象のエコノミーと内在」(『ミシェル・アンリ研究』第7号)、共訳書:アンリ『現出の本質』上・下(法政大学出版局)。
村瀬 鋼(むらせ・こう) 1965年生。成城大学教授。共著:『哲学という地図』(勁草書房)、共訳書:ロゴザンスキー『我と肉』(月曜社)、論文:「隔たりと力」(『ミシェル・アンリ研究』第2号)。
吉永和加(よしなが・わか) 名古屋市立大学大学院教授。著著:『〈他者〉の逆説──レヴィナスとデリダの狭き道』(ナカニシヤ出版)、『感情から他者へ──生の現象学による共同体論』(萌書房)。
本間義啓(ほんま・よしひろ) 1978年生。釧路公立大学准教授。著書:L’auto-détermination par la loi : Le sujet, la voix, le temps selon l’éthique kantienne(L’Harmattan)、共訳書:ロゴザンスキー『我と肉』(月曜社)。
野村直正(のむら・なおまさ) 1954年生。京都産業大学非常勤講師。論文:「実質的現象学と現象学の諸前提」(『メルロ=ポンティ研究』 第9号)、訳書:アンリ『共産主義から資本主義へ』(法政大学出版局)。
本郷 均(ほんごう・ひとし) 1959年生。東京電機大学教授。共著:『メルロ=ポンティ読本』(法政大学出版局)、共訳書:メルロ=ポンティ『フッサール『幾何学の起源』講義』(法政大学出版局)。
古荘匡義(ふるそう・ただよし) 1980年生。龍谷大学准教授。著書:『綱島梁川の宗教哲学と実践』(法藏館)、論文:「ミシェル・アンリの「実践=哲学」」(課程博士論文)。
佐藤勇一(さとう・ゆういち) 1974年生。福井工業高等専門学校准教授。共著書:『メルロ=ポンティ読本』(法政大学出版局)、共訳書:ジェイ『うつむく眼』(法政大学出版局)。
松永澄夫(まつなが・すみお) 東京大学名誉教授。『想像のさまざま』『食を料理する・増補版』『感情と意味世界』『経験のエレメント』『価値・意味・秩序』『音の経験』『言葉の力』(以上、東信堂)。
越門勝彦(こえもん・かつひこ) 明治大学准教授。著書:『省みることの哲学──ジャン・ナベール研究』(東信堂)、共編著:『現代フランス哲学入門』(ミネルヴァ書房)、『リクール読本』(法政大学出版局)。
亀井大輔(かめい・だいすけ) 1973年生。立命館大学教授。著書:『デリダ 歴史の思考』(法政大学出版局)、共訳書:デリダ『ハイデガー──存在の問いと歴史』(白水社)。
柿並良佑(かきなみ・りょうすけ) 1980年生。山形大学准教授。共著:『〈つながり〉 の現代思想』(明石書店)、論文:「人間なきオマージュ バタイユ&ナンシー、思考の身振りと力」(『多様体』 2号、月曜社)。
杉村靖彦(すぎむら・やすひこ) 1965年生。京都大学教授。著書:『ポール・リクールの思想』(創文社)、共編著:Philosophie japonaise(J. Vrin)、『渦動する象徴──田辺哲学のダイナミズム』(晃洋書房)。
平光哲朗(ひらみつ・てつろう) 1973年生。神戸学院大学准教授。論文:「extensionと縮約──『物質と記憶』第四章におけるベルクソンの直観を再考する」(『ベルクソン『物質と記憶』 を再起動する』 書肆心水)。
池田裕輔(いけだ・ゆうすけ) 1983年生。釧路工業高等専門学校講師。共著:Phänomenologie und spekulativer Realismus(Königshausen & Neumann), Husserl, Kant and the transcendental phenomenology(De Gruyter).
松田智裕(まつだ・ともひろ) 1986年生。立命館大学衣笠総合研究機構専門研究員。著書:『弁証法、戦争、解読──前期デリダ思想の展開史』(法政大学出版局)。
佐藤 愛(さとう・あい) 1983年生。立命館大学客員協力研究員、早稲田大学招聘研究員。共訳書:ジュベール『自閉症者たちは何を考えているのか?』(人文書院)。
根無一行(ねむ・かずゆき) 1979年生。京都大学非常勤講師。論文:「レヴィナスとSSの顔」(『宗教哲学研究』第31号)、共訳書:ルフラン『十九世紀フランス哲学』(白水社)。
落合 芳(おちあい・かおり) 1975年生まれ。龍谷大学非常勤講師。共編著:『生活形式と脆弱性──倫理としてのケア』(萌書房)、共著:『フランス現象学の現在』(法政大学出版局)。
樋口雄哉(ひぐち・ゆうや) 1984年生。同志社大学ライフリスク研究センター嘱託研究員。共著:『個と普遍』(法政大学出版局)、共訳:ペリュション『糧』、ル・ラヌー『存在と力』(以上、萌書房)。
武藤剛史(むとう・たけし) 1948年生。共立女子大学名誉教授。著書:『サン=テグジュペリの世界』(講談社選書メチエ)。訳書:アンリ『キリストの言葉──いのちの現象学』(白水社)。
中村行志(なかむら・こうじ) フリーランス・リサーチャー。
ロラン・ヴァシャルド(Roland Vaschalde) 1951年生。元図書館上級司書。著書:À l’Orient de Michel Henry、Épreuve de soi et vérité du monde : depuis Michel Henry(以上、Orizons)、Suivant Michel Henry(L’Harmattan).
阿部善彦(あべ・よしひこ) 立教大学教授。共編著:『テオーシス──東方・西方教会における人間神化思想の伝統』(教友社)。共著:『古代キリスト教の女性』(教友社)、『キリスト教神学命題集』(教文館)。
上野 修(うえの・おさむ) 1951年生。大阪大学名誉教授。著書:『スピノザの世界』(講談社)、『デカルト、ホッブズ、スピノザ』(講談社)、『スピノザ『神学政治論』を読む』(筑摩書房)。
服部敬弘(はっとり・ゆきひろ) 1981年生。同志社大学准教授。共著:『フランス現象学の現在』(法政大学出版局)、共訳書:フランク『他者のための一者──レヴィナスと意義』(法政大学出版局)。
水野浩二(みずの・こうじ) 1952年生。元札幌国際大学教授。著書:『倫理と歴史 一九六〇年代のサルトルの倫理学』(月曜社)、共訳書:サルトル『イマジネール』(講談社学術文庫)。
景山洋平(かげやま・ようへい) 1982年生。関西学院大学准教授。著書:『「問い」から始まる哲学入門』(光文社)、『出来事と自己変容──ハイデガー哲学の構造と生成における自己性の問題』(創文社)。
加國尚志(かくに・たかし) 1963年生。立命館大学教授。著書:『自然の現象学──メルロ゠ポンティと自然の哲学』(晃洋書房)、『沈黙の詩法──メルロ゠ポンティと表現の哲学』(晃洋書房)。
ディディエ・フランク(Didier Franck) 1947年生。パリ・ナンテール大学名誉教授。著書:『他者のための一者』(法政大学出版局)、『現象学を超えて』『ハイデッガーとキリスト教』(以上、萌書房)。
北村 晋(きたむら・すすむ) 元早稲田大学講師。論文:「表象のエコノミーと内在」(『ミシェル・アンリ研究』第7号)、共訳書:アンリ『現出の本質』上・下(法政大学出版局)。
村瀬 鋼(むらせ・こう) 1965年生。成城大学教授。共著:『哲学という地図』(勁草書房)、共訳書:ロゴザンスキー『我と肉』(月曜社)、論文:「隔たりと力」(『ミシェル・アンリ研究』第2号)。
吉永和加(よしなが・わか) 名古屋市立大学大学院教授。著著:『〈他者〉の逆説──レヴィナスとデリダの狭き道』(ナカニシヤ出版)、『感情から他者へ──生の現象学による共同体論』(萌書房)。
本間義啓(ほんま・よしひろ) 1978年生。釧路公立大学准教授。著書:L’auto-détermination par la loi : Le sujet, la voix, le temps selon l’éthique kantienne(L’Harmattan)、共訳書:ロゴザンスキー『我と肉』(月曜社)。
野村直正(のむら・なおまさ) 1954年生。京都産業大学非常勤講師。論文:「実質的現象学と現象学の諸前提」(『メルロ=ポンティ研究』 第9号)、訳書:アンリ『共産主義から資本主義へ』(法政大学出版局)。
本郷 均(ほんごう・ひとし) 1959年生。東京電機大学教授。共著:『メルロ=ポンティ読本』(法政大学出版局)、共訳書:メルロ=ポンティ『フッサール『幾何学の起源』講義』(法政大学出版局)。
古荘匡義(ふるそう・ただよし) 1980年生。龍谷大学准教授。著書:『綱島梁川の宗教哲学と実践』(法藏館)、論文:「ミシェル・アンリの「実践=哲学」」(課程博士論文)。
佐藤勇一(さとう・ゆういち) 1974年生。福井工業高等専門学校准教授。共著書:『メルロ=ポンティ読本』(法政大学出版局)、共訳書:ジェイ『うつむく眼』(法政大学出版局)。
松永澄夫(まつなが・すみお) 東京大学名誉教授。『想像のさまざま』『食を料理する・増補版』『感情と意味世界』『経験のエレメント』『価値・意味・秩序』『音の経験』『言葉の力』(以上、東信堂)。
越門勝彦(こえもん・かつひこ) 明治大学准教授。著書:『省みることの哲学──ジャン・ナベール研究』(東信堂)、共編著:『現代フランス哲学入門』(ミネルヴァ書房)、『リクール読本』(法政大学出版局)。
亀井大輔(かめい・だいすけ) 1973年生。立命館大学教授。著書:『デリダ 歴史の思考』(法政大学出版局)、共訳書:デリダ『ハイデガー──存在の問いと歴史』(白水社)。
柿並良佑(かきなみ・りょうすけ) 1980年生。山形大学准教授。共著:『〈つながり〉 の現代思想』(明石書店)、論文:「人間なきオマージュ バタイユ&ナンシー、思考の身振りと力」(『多様体』 2号、月曜社)。
杉村靖彦(すぎむら・やすひこ) 1965年生。京都大学教授。著書:『ポール・リクールの思想』(創文社)、共編著:Philosophie japonaise(J. Vrin)、『渦動する象徴──田辺哲学のダイナミズム』(晃洋書房)。
平光哲朗(ひらみつ・てつろう) 1973年生。神戸学院大学准教授。論文:「extensionと縮約──『物質と記憶』第四章におけるベルクソンの直観を再考する」(『ベルクソン『物質と記憶』 を再起動する』 書肆心水)。
池田裕輔(いけだ・ゆうすけ) 1983年生。釧路工業高等専門学校講師。共著:Phänomenologie und spekulativer Realismus(Königshausen & Neumann), Husserl, Kant and the transcendental phenomenology(De Gruyter).
松田智裕(まつだ・ともひろ) 1986年生。立命館大学衣笠総合研究機構専門研究員。著書:『弁証法、戦争、解読──前期デリダ思想の展開史』(法政大学出版局)。
佐藤 愛(さとう・あい) 1983年生。立命館大学客員協力研究員、早稲田大学招聘研究員。共訳書:ジュベール『自閉症者たちは何を考えているのか?』(人文書院)。
根無一行(ねむ・かずゆき) 1979年生。京都大学非常勤講師。論文:「レヴィナスとSSの顔」(『宗教哲学研究』第31号)、共訳書:ルフラン『十九世紀フランス哲学』(白水社)。
落合 芳(おちあい・かおり) 1975年生まれ。龍谷大学非常勤講師。共編著:『生活形式と脆弱性──倫理としてのケア』(萌書房)、共著:『フランス現象学の現在』(法政大学出版局)。
樋口雄哉(ひぐち・ゆうや) 1984年生。同志社大学ライフリスク研究センター嘱託研究員。共著:『個と普遍』(法政大学出版局)、共訳:ペリュション『糧』、ル・ラヌー『存在と力』(以上、萌書房)。
武藤剛史(むとう・たけし) 1948年生。共立女子大学名誉教授。著書:『サン=テグジュペリの世界』(講談社選書メチエ)。訳書:アンリ『キリストの言葉──いのちの現象学』(白水社)。
中村行志(なかむら・こうじ) フリーランス・リサーチャー。
書評掲載
「北海道新聞 夕刊」(2022年10月26日付)に紹介されました。
「図書新聞」(2023年01月28日号/神谷英二氏・評)に紹介されました。