J.ハーシー(ハーシー ジョン)
(John Hersey)
1914年、中国天津に生まれ、家族がアメリカへ帰る1925年まで同地に暮らす。イェール大学ならびにケンブリッジ大学に学び、一時、シンクレア・ルイス(1885-1951、米国の小説家で、1930年に米国人で初めてノーベル文学賞を受賞)の秘書を務め、その後数年間、ジャーナリストとして活動。1947年以降、おもにフィクションの執筆に打ち込む。ピュリッツァ賞受賞。イェール大学で20年間教鞭をとり、その後、アメリカ著作家連盟会長、アメリカ芸術文学学校校長を歴任。1994年9月、谷本清平和賞受賞。1993年死去。
石川 欣一(イシカワ キンイチ)
1895年、東京に生まれる。東京大学英文科を中退して渡米し、1919年、プリンストン大学卒業。大阪毎日新聞社学芸部員、東京日日新聞社学芸部員・ロンドン特派員、大阪毎日新聞社文化部長・東京本社出版局長等を歴任。訳書に、グルー『滞日十年』、チャーチル『第二次大戦回顧録』、モース『日本その日その日』等がある。1959年死去。
谷本 清(タニモト キヨシ)
1909年、香川県に生まれる。関西学院神学部を卒業後、渡米して1940年、エモリー大学大学院修了。1943年、広島流川教会牧師に就任し、1945年、爆心から3kmの知人宅で被爆するが奇跡的に助かる。1950年、ヒロシマ・ピース・センターを設立し、原爆で傷ついた少女たちや孤児の救済に取り組む。広島平和文化センター理事長等を歴任。1986年死去。
明田川 融(アケタガワ トオル)
1963年,新潟県に生まれる。97年に法政大学大学院政治学専攻博士課程修了。専攻は日本政治史。現在,法政大学法学部教授。著訳書に『日米行政協定の政治史』(法政大学出版局),『沖縄基地問題の歴史』,『日米地位協定』,ジョン・ダワー『昭和』(監訳,以上みすず書房),ジョン・ダワー/ガバン・マコーマック『転換期の日本へ』(共訳,NHK出版)などがある。
※上記内容は本書刊行時のものです。2 火災
3 詳細は目下調査中
4 黍(きび)と夏白菊
5 ヒロシマ その後
1 中村初代
2 佐々木輝文博士
3 ウィルヘルム・クラインゾルゲ神父
4 佐々木とし子
5 藤井正和博士
6 谷本 清
初版 訳者あとがき(谷本 清)
増補版 訳者あとがき(明田川 融)
増補版刊行にあたって/謝辞(法政大学出版局)
書評掲載
「灯台」(2015年8月号)に紹介されました。
「朝日新聞」(2016年5月22日付/三浦俊章氏・評)にて紹介されました。