『特性のない男』で知られるムージルは「文学によってしか表しえないもの」を表そうとした作家である。他者性、あるいは一回しか存在しないものをどのように表現しようとしたか。あるいは、イメージや比喩の扱いをとおして、非言語的なものを言語によってどのように語ろうとしたか。ムージル文学の奥行に作品論によって深く分け入り、ムージルの創作方法とその小説世界を明らかにする。
赤司 英一郎(アカシ エイイチロウ)
1953年福岡県生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。1987~1988年オーストリア政府奨学生としてクラーゲンフルト市のローベルト・ムージル・アルヒーフに留学。1999~2001年ウィーン大学人文学部東アジア研究科客員教授。現在、東京学芸大学教授。専門はドイツ・オーストリア文学。
著書に『陽気な黙示録──オーストリア文化研究』(共著、中央大学出版部)、『ムージル 思惟する感覚』(共著、鳥影社)、『多言語・多文化社会へのまなざし──新しい共生への視点と教育』(共著、白帝社)、訳書にアードルフ・フリゼー編『ムージル読本──別の人間を見出すための試み』(共訳、法政大学出版局)、カール・コリーノ著『ムージル 伝記1・2』(共訳、法政大学出版局)など。
序
第一章 夢の流出──『少年テルレスの惑い』について
一、夢の器
二、夢の物語
三、夢の流出
四、もうひとつの夢の流出
五、夢と現実
第二章 非個人的なものが現われるトポスとしての〈部屋〉──『少年テルレスの惑い』から短篇集『合一へ』
一、数学的思考から〈隠れ処〉へ
二、〈部屋〉と感覚
三、もうひとつの〈部屋〉の物語
四、〈部屋〉からの解放
第三章 嫉妬の手──『愛の完成』について
一、小説のモチーフ
二、第三者
三、水という自然
四、愛のパラドックス
第四章 披かれた風景──『グリージャ』について
一、遠き愛
二、演劇的生活、あるいは非人間性
三、ペルソナがない、あるいは「戦争」
四、彼岸の部分
第五章 善良な人へのオマージュ──『トンカ』について
一、愚かさ
二、一回的な存在
三、モラリストの視界
四、他者としてのトンカ
第六章 比喩という方法、あるいは比喩のなかの出来事──『特性のない男』について
一、ここからは何も生じない
二、わたしはどこにいるのか、あるいは歴史について考えること
三、主体的な思考が成立しない場所
四、比喩という方法
五、比喩のなかの出来事
六、自我の「火」、あるいは、これは個人的な物語ではない
第七章 〈贈られた〉可能性感覚──『黒つぐみ』について
一、関係性とそれを超えたもの
二、天の鳥
三、〈贈られた〉身体
四、母親
五、可能性感覚
あとがき
主要参考文献
第一章 夢の流出──『少年テルレスの惑い』について
一、夢の器
二、夢の物語
三、夢の流出
四、もうひとつの夢の流出
五、夢と現実
第二章 非個人的なものが現われるトポスとしての〈部屋〉──『少年テルレスの惑い』から短篇集『合一へ』
一、数学的思考から〈隠れ処〉へ
二、〈部屋〉と感覚
三、もうひとつの〈部屋〉の物語
四、〈部屋〉からの解放
第三章 嫉妬の手──『愛の完成』について
一、小説のモチーフ
二、第三者
三、水という自然
四、愛のパラドックス
第四章 披かれた風景──『グリージャ』について
一、遠き愛
二、演劇的生活、あるいは非人間性
三、ペルソナがない、あるいは「戦争」
四、彼岸の部分
第五章 善良な人へのオマージュ──『トンカ』について
一、愚かさ
二、一回的な存在
三、モラリストの視界
四、他者としてのトンカ
第六章 比喩という方法、あるいは比喩のなかの出来事──『特性のない男』について
一、ここからは何も生じない
二、わたしはどこにいるのか、あるいは歴史について考えること
三、主体的な思考が成立しない場所
四、比喩という方法
五、比喩のなかの出来事
六、自我の「火」、あるいは、これは個人的な物語ではない
第七章 〈贈られた〉可能性感覚──『黒つぐみ』について
一、関係性とそれを超えたもの
二、天の鳥
三、〈贈られた〉身体
四、母親
五、可能性感覚
あとがき
主要参考文献
書評掲載
「週刊読書人」(2014年12月12日号)に紹介されました。
「図書新聞」(2015年4月18日号/岡田素之氏・評)に紹介されました。