〈比較〉の思想家としてのマックス・ウェーバー。その比較とは、複数の概念、類型、あるいは文化を同等の位置にあえて置き入れ、互いに突き合わせることで、相互にリフレクションを誘発せしめるような知の営みであった。本書は、20世紀初頭にウェーバーが実践した比較の契機を掘り起こし、その政治理論を冷戦の終焉以後の現代政治の文脈に置き入れ、その今日的な意義を再検討する。
野口 雅弘(ノグチ マサヒロ)
1969年、東京生まれ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程単位取得退学。2003年、ボン大学哲学部で博士号(Ph.D)取得。早稲田大学政治経済学術院助教、岐阜大学教育学部准教等を経て、2010年4月より立命館大学法学部准教授。専門は政治学、政治思想史。主な著訳書に、Kampf und Kultur: Max Webers Theorie der Politik ausder Sicht seiner Kultursoziologie( Berlin: Duncker & Humblot, 2005)、『闘争と文化―マックス・ウェーバーの文化社会学と政治理論』(みすず書房、2006年)、『官僚制批判の論理と心理――デモクラシーの友と敵』(中公新書、2011年)、『はじめて学ぶ政治学』(共著、ミネルヴァ書房、2008年)、『大学と哲学』(共著、未來社、2009年)、クラウス・オッフェ『アメリカの省察――トクヴィル・ウェーバー・アドルノ』(法政大学出版局、2009年)、などがある。
※上記内容は本書刊行時のものです。序論 比較の政治理論家としてのウェーバー
一 近代から文化へ
二 文化比較の功罪
三 比較する多元主義
四 本書の構成
第I部 保守・ポピュリズム・官僚制
第1章 信条倫理化する〈保守〉──ウェーバーとマンハイムを手がかりにして
一 保守主義とリフレクション
二 保守主義的思考と責任倫理
三 〈保守〉のプログラム化
四 〈保守〉批判の保守主義化
五 信条倫理の両義性
第2章 デマゴーグ以後──マックス・ウェーバーと脱政治化の問題
一 デマゴーグ批判とその構図
二 脱政治化された社会とその分析としての『儒教と道教』
三 ウェーバーとデマゴーグ
四 「新しい公共」と見えにくくなる党派性
第3章 マックス・ウェーバーと官僚制をめぐる情念──sine ira et studio と「不毛な興奮」
一 「いわゆるウェーバー的な官僚制論」はウェーバー的か?
二 sine ira et studio を支える情念の機制
三 カリスマと「不毛な興奮」
四 「リキッド・モダニティ」と官僚制の論じ方
第II部 ふたつの比較研究──「儒教とピューリタニズム」と『職業としての学問』
第4章 「儒教とピューリタニズム」再読
一 従来の受容
二 宗教の動態化とヨーロッパ宗教史研究の変容
三 ポスト世俗化とピューリタニズムの優位性の修正
四 比較と「開かれ」
第5章 ドイツの大学とアメリカの大学──比較研究としての『職業としての学問』
一 『職業としての学問』を読む位置
二 大学の「アメリカ化」
三 学問にできることとその「責任」
四 比較によってディレンマを掘り起こす知識人
補論 ナショナリズム論の現在──今野元『マックス・ヴェーバー』を読む
一 ウェーバー研究とナショナリズム
二 堅実な実証的歴史研究という挑戦
三 「一貫性」か、転回か──「政治的なもの」の理解をめぐって
四 「知性主義の逆説」をめぐって
第III部 受容史研究
第6章 日本のウェーバー受容における「普遍」の問題
一 「普遍」のテーマ化
二 歴史学派経済学──金井延と福田徳三
三 「戦後啓蒙」──大塚久雄
四 近代化論──ロバート・N・ベラー
五 「ニーチェ的」ウェーバー──山之内靖
六 むすびにかえて
初出一覧
あとがき
索引
一 近代から文化へ
二 文化比較の功罪
三 比較する多元主義
四 本書の構成
第I部 保守・ポピュリズム・官僚制
第1章 信条倫理化する〈保守〉──ウェーバーとマンハイムを手がかりにして
一 保守主義とリフレクション
二 保守主義的思考と責任倫理
三 〈保守〉のプログラム化
四 〈保守〉批判の保守主義化
五 信条倫理の両義性
第2章 デマゴーグ以後──マックス・ウェーバーと脱政治化の問題
一 デマゴーグ批判とその構図
二 脱政治化された社会とその分析としての『儒教と道教』
三 ウェーバーとデマゴーグ
四 「新しい公共」と見えにくくなる党派性
第3章 マックス・ウェーバーと官僚制をめぐる情念──sine ira et studio と「不毛な興奮」
一 「いわゆるウェーバー的な官僚制論」はウェーバー的か?
二 sine ira et studio を支える情念の機制
三 カリスマと「不毛な興奮」
四 「リキッド・モダニティ」と官僚制の論じ方
第II部 ふたつの比較研究──「儒教とピューリタニズム」と『職業としての学問』
第4章 「儒教とピューリタニズム」再読
一 従来の受容
二 宗教の動態化とヨーロッパ宗教史研究の変容
三 ポスト世俗化とピューリタニズムの優位性の修正
四 比較と「開かれ」
第5章 ドイツの大学とアメリカの大学──比較研究としての『職業としての学問』
一 『職業としての学問』を読む位置
二 大学の「アメリカ化」
三 学問にできることとその「責任」
四 比較によってディレンマを掘り起こす知識人
補論 ナショナリズム論の現在──今野元『マックス・ヴェーバー』を読む
一 ウェーバー研究とナショナリズム
二 堅実な実証的歴史研究という挑戦
三 「一貫性」か、転回か──「政治的なもの」の理解をめぐって
四 「知性主義の逆説」をめぐって
第III部 受容史研究
第6章 日本のウェーバー受容における「普遍」の問題
一 「普遍」のテーマ化
二 歴史学派経済学──金井延と福田徳三
三 「戦後啓蒙」──大塚久雄
四 近代化論──ロバート・N・ベラー
五 「ニーチェ的」ウェーバー──山之内靖
六 むすびにかえて
初出一覧
あとがき
索引
C.オッフェ『アメリカの省察』(野口雅弘訳、法政大学出版局)