デボラ・ヘルマン(ヘルマン デボラ)
(Deborah Hellman)
1963年生まれ。ハーバード大学ロー・スクールで博士号を取得後、メリーランド大学法学部教授を経て、現在、ヴァージニア大学法学部教授。子どもと家族の支援を行う社会事業団体ReadyKids(ヴァージニア州シャーロッツビル市)の副会長も務める。差別とは何か、差別はどういうときに悪質であるのか、などの問いを扱う差別の一般理論の代表的論者として知られるほか、選挙資金法の合憲性や人種プロファイリングの問題などについて多数の論文を発表している。本書以外の代表的業績に、Sophia Moreauとの編著Philosophical Foundations of Discrimination Law, Oxford University Press, 2013がある。
池田 喬(イケダ タカシ)
1977年生まれ。東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。現在、明治大学文学部准教授。単著に、『存在と行為――ハイデガー『存在と時間』の解釈と展開』(創文社、2011年)。論文に、「ただの言葉がなぜ傷つけるのか――ハラスメント発言の言語行為論的探究」(『哲学』第69号、2018年)、「アファーマティブ・アクションの哲学――〈男女共同参画〉の規範的論拠をめぐって」(『理想』第695号、2015年)など。
堀田 義太郎(ホッタ ヨシタロウ)
1974年生まれ。大阪大学大学院医学系研究科博士課程修了。博士(医学)。現在、東京理科大学理工学部講師。著書に、『差異と平等――障害とケア/有償と無償』(青土社、2012年、立岩真也氏との共著)。論文に、「何が差別を悪くするのか――不利益説の批判的検討」(『倫理学年報』第65集、2016年)、「差別の規範理論――差別の悪の根拠をめぐる検討」(『社会と倫理』第29号、2014年)など。
※上記内容は本書刊行時のものです。第Ⅰ部 差別はどんなときに不当であるのか
第一章 基本的な発想
「差別」
発想を促す
悪質でありかつ差別であるとしても悪質な差別ではない
歴史と現在の社会的地位──その何が問題なのか
反カーストと不均衡な負担
社会的事実としての差別
文脈と文化が一定の区別を貶価にする
なぜ貶価なのか
貶価で十分か
個人的な不正
第二章 貶価することと悪質な差別
貶価するとはどういうことか
文脈と慣習
いくつかの例の考察
〈慣習的意味〉対〈慣習的実践〉
貶価することは本当に平等の問題なのか
貶価するというだけで本当に十分なのか
貶価することはすべて不当なのか
カナダ法による尊厳の認定
この見解を位置づける
結論
第三章 解釈と不一致
特定の慣行が貶価するかどうかをいかにして決定するのか
問いの本性
不一致
客観性とは正確には何であるのか
補足──〈タイプ客観性〉対〈トークン客観性〉
解釈的判断の客観性
穏当な客観性に対する穏当な提案
客観性についての特別な懸念
見解の不一致
内部にいる人だけがアクセスできる
文化的ヘゲモニー
第Ⅱ部 差別の難問に対する別の解決案を検討する
第Ⅱ部への序論
第四章 実績・権原・功績
実績とは何か
〈常識的な意味での実績〉対〈構築された実績〉
実績と権原、あるいは功績
実績と効率性
実績と功績
弱い主張──実績による報酬は常に道徳的に許容可能である
実績および、貶価する差異化と実績の結びつき
第五章 正確さと不合理性
不平等を永続させる──許容不可能、あるいは道徳的に問題のある合理的分類
無能さと愚かさ──不正確さだけでは平等に対する侮辱にはならない
正確な代理指標を用いることの失敗
全員を同じように扱うことの失敗
正確さを考慮する予防的理由
適合をきつくすること
純粋な恣意性
結論
第六章 問題は思想にあるのか
意図とは何か
意図と同一化
なぜ私とは別の仕方で考えるのか
必要でも十分でもない
表面的差別・差別的効果・意図
私的なバイアス
意図と評価
差別的意図の関連性
標的
目標
貶価することと意図すること
結論
結論
謝辞
訳者あとがき
注
索引
書評掲載
「出版ニュース」(2018年9月上旬号)に紹介されました。
「法学セミナー」(Vol.63-12、2018年12月1日発行)に紹介されました。
「図書新聞」(2019年1月1日号/小手川正二郎氏・評)に紹介されました。