西洋哲学の歴史が忘却してきたのは、存在者の〈存在〉だけでなく、私たちの生身の〈身体〉もまた見失われてきたのではないか。従来、ハイデガー存在論に対して向けられてきた〈他者の不在〉という根本的批判、〈共存在〉をめぐる倫理の難問に、〈身体〉を介した〈対話〉の場の究明をつうじて正面から取り組む試み。第5回「ハイデガー・フォーラム渡邊二郎賞」受賞者による気鋭の論考。
高屋敷 直広(タカヤシキ ナオヒロ)
岩手県出身。2019年度、法政大学大学院人文科学研究科哲学専攻博士後期課程修了、博士(哲学)。現在、法政大学・浦和大学特別招聘講師など。専門領域はハイデガーを中心とする現代思想、身体論、倫理学。
主要業績:『ハイデガー事典』(共著:項目執筆、昭和堂、近刊予定)、「場所としての身体性──前期ハイデガーにおける身体問題の射程」(『信仰と実存』理想社)、「〈対話〉における開示の〈場〉──ハイデガー『存在と時間』における根源的倫理の萌芽」(『倫理学年報』第65集)、「生をあらわにする「身振り」──生命理解に対するハイデガー身体論の射程」(ハイデガー・フォーラム第15回大会一般研究発表)など。
主な受賞歴:第5回「ハイデガー・フォーラム渡邊二郎賞」、2018年度「法政哲学会 泰本賞」。
凡 例
まえがき
序 論
第1節 本書の目的
第2節 先行研究の現状と課題
第3節 本書の考察方法
第4節 本書の構成
第1章 存在了解の遂行の〈場〉──〈対話的な場〉の究明に向けて
第1節 「時間」への問いから〈場〉への問いへ
第2節 ハイデガー時間論の解釈史──時節性の未完と自然の関係を手掛かりに
第3節 『存在と時間』における自然概念の読解──純然たる眼前性への示唆
第4節 『存在と時間』の時間論がもつ限界の検討──ドレイファス説を通じて
第5節 自然を誤解する「自然時間」──ドレイファス説の制限
第6節 存在了解の遂行の〈場〉──自然における被投的な「身体」に定位して
第7節 〈対話的な場〉の究明へ──〈身体忘却〉の考察を手掛かりに
第2章 実存論的な空間性を可能にする〈場〉──現存在の「身体」の究明
第1節 『存在と時間』における現存在の「身体」への問い
第2節 ハイデガーの身体問題をめぐる新たな戦場──「身体・霊魂・精神」の破壊
第3節 「身体」を〈場〉として解釈する視点──セルボーン説を手掛かりに
第4節 実存論的な空間性の根源性──アルワイス説を手掛かりに
第5節 「空間を許容すること」に対する「身体」の関係
第6節 「方向づけ」の根拠に対するハイデガーのカント批判
第7節 実存論的な空間性を可能にする〈場〉としての「身体」
第3章 身振りとしての〈場〉──「身体」と「語り」の連関の究明
第1節 「身体」と「語り」の連関への問い
第2節 「語り」をめぐるハイデガー身体論の解釈史──「身振り」の解釈へ向けて
第3節 「身体」と「語り」の日常的な連関の提示──ヴァルデンフェルス説を通じて
第4節 「身体」と「語り」の連関の存在論的根拠──ヴァルデンフェルス説の制限
第5節 思索の身振り──バウアー説を手掛かりに
第6節 身振りの固有な空間性としての「場」──バウアー説の検討
第7節 『存在と時間』における身振りとしての〈場〉──「身体」と「語り」の存在論的な連関
第4章 現事実的で異質な他者と出会う〈場〉──「身体」に基づく共存在の究明
第1節 現事実的で異質な他者への問い
第2節 共存在の解釈史──事実性および「身体」を手掛かりに
第3節 共存在の解釈における被投性の重視──クリッチリー説を通じて
第4節 「根源的な非本来性」から〈現事実性〉へ──クリッチリー説の制限
第5節 「身体」と共存在──ミヒャルスキー説を手掛かりに
第6節 現事実的な共存在──ミヒャルスキー説の検討
第7節 現事実的で異質な他者と出会う〈場〉──「身体」に基づく共存在
第5章 「語り」の遂行としての〈対話〉──『存在と時間』における「言うこと」と「名付けること」の究明
第1節 「語り」の遂行への問い──おしゃべりとの対決としての『存在と時間』
第2節 ハイデガー言語論の解釈史における「言うこと」と「名付けること」
第3節 ギリシア哲学からの影響──「オノマ」と「レーマ」の解釈を手掛かりに
第4節 『存在と時間』における「名付けること」の用法──実存疇に定位して
第5節 『存在と時間』における「言うこと」の用法──「名付けること」との連関をめぐって
第6節 真理に即した「言うこと」の新たな意義と「聞くこと」
第7節 「語り」の遂行としての〈対話〉──現存在と存在の呼応関係
第6章 『存在と時間』における〈対話的な場〉──他者との〈対話〉という「倫理」の究明
第1節 「倫理」への問い──「語り」の反復に定位して
第2節 根源的倫理の解釈史──『存在と時間』における「倫理」をめぐって
第3節 『存在と時間』における存在の近さと言葉──ケッテリング説を手掛かりに
第4節 「語りとしてのロゴス」と「現」の開示性
第5節 「言うこと」と「名付けること」に基づく「倫理」──存在との〈対話〉
第6節 現存在と共現存在の「倫理」──他者との〈対話〉
第7節 『存在と時間』における〈対話的な場〉──〈身体忘却〉のゆくえ
結 論
あとがき
初出一覧
参考文献一覧
事項索引
人名索引
まえがき
序 論
第1節 本書の目的
第2節 先行研究の現状と課題
第3節 本書の考察方法
第4節 本書の構成
第1章 存在了解の遂行の〈場〉──〈対話的な場〉の究明に向けて
第1節 「時間」への問いから〈場〉への問いへ
第2節 ハイデガー時間論の解釈史──時節性の未完と自然の関係を手掛かりに
第3節 『存在と時間』における自然概念の読解──純然たる眼前性への示唆
第4節 『存在と時間』の時間論がもつ限界の検討──ドレイファス説を通じて
第5節 自然を誤解する「自然時間」──ドレイファス説の制限
第6節 存在了解の遂行の〈場〉──自然における被投的な「身体」に定位して
第7節 〈対話的な場〉の究明へ──〈身体忘却〉の考察を手掛かりに
第2章 実存論的な空間性を可能にする〈場〉──現存在の「身体」の究明
第1節 『存在と時間』における現存在の「身体」への問い
第2節 ハイデガーの身体問題をめぐる新たな戦場──「身体・霊魂・精神」の破壊
第3節 「身体」を〈場〉として解釈する視点──セルボーン説を手掛かりに
第4節 実存論的な空間性の根源性──アルワイス説を手掛かりに
第5節 「空間を許容すること」に対する「身体」の関係
第6節 「方向づけ」の根拠に対するハイデガーのカント批判
第7節 実存論的な空間性を可能にする〈場〉としての「身体」
第3章 身振りとしての〈場〉──「身体」と「語り」の連関の究明
第1節 「身体」と「語り」の連関への問い
第2節 「語り」をめぐるハイデガー身体論の解釈史──「身振り」の解釈へ向けて
第3節 「身体」と「語り」の日常的な連関の提示──ヴァルデンフェルス説を通じて
第4節 「身体」と「語り」の連関の存在論的根拠──ヴァルデンフェルス説の制限
第5節 思索の身振り──バウアー説を手掛かりに
第6節 身振りの固有な空間性としての「場」──バウアー説の検討
第7節 『存在と時間』における身振りとしての〈場〉──「身体」と「語り」の存在論的な連関
第4章 現事実的で異質な他者と出会う〈場〉──「身体」に基づく共存在の究明
第1節 現事実的で異質な他者への問い
第2節 共存在の解釈史──事実性および「身体」を手掛かりに
第3節 共存在の解釈における被投性の重視──クリッチリー説を通じて
第4節 「根源的な非本来性」から〈現事実性〉へ──クリッチリー説の制限
第5節 「身体」と共存在──ミヒャルスキー説を手掛かりに
第6節 現事実的な共存在──ミヒャルスキー説の検討
第7節 現事実的で異質な他者と出会う〈場〉──「身体」に基づく共存在
第5章 「語り」の遂行としての〈対話〉──『存在と時間』における「言うこと」と「名付けること」の究明
第1節 「語り」の遂行への問い──おしゃべりとの対決としての『存在と時間』
第2節 ハイデガー言語論の解釈史における「言うこと」と「名付けること」
第3節 ギリシア哲学からの影響──「オノマ」と「レーマ」の解釈を手掛かりに
第4節 『存在と時間』における「名付けること」の用法──実存疇に定位して
第5節 『存在と時間』における「言うこと」の用法──「名付けること」との連関をめぐって
第6節 真理に即した「言うこと」の新たな意義と「聞くこと」
第7節 「語り」の遂行としての〈対話〉──現存在と存在の呼応関係
第6章 『存在と時間』における〈対話的な場〉──他者との〈対話〉という「倫理」の究明
第1節 「倫理」への問い──「語り」の反復に定位して
第2節 根源的倫理の解釈史──『存在と時間』における「倫理」をめぐって
第3節 『存在と時間』における存在の近さと言葉──ケッテリング説を手掛かりに
第4節 「語りとしてのロゴス」と「現」の開示性
第5節 「言うこと」と「名付けること」に基づく「倫理」──存在との〈対話〉
第6節 現存在と共現存在の「倫理」──他者との〈対話〉
第7節 『存在と時間』における〈対話的な場〉──〈身体忘却〉のゆくえ
結 論
あとがき
初出一覧
参考文献一覧
事項索引
人名索引