ウラジーミル・タラーソフ(タラーソフ ウラジーミル)
(Vladimir Tarasov, 1947–)
ドラマー、パーカッショニスト、アート作家。旧ソ連アルハンゲリスクに生まれる。打楽器を独学で習得し、14歳からアルハンゲリスクのエストラーダ(バラエティ・ショウ)・アンサンブルで演奏した。1967年、ヴャチェスラフ・ガネーリンと出会い、リトアニアの首都ヴィリニュスを拠点にデュオで演奏。1971年からウラジーミル・チェカーシンが加わり、GTChトリオとして前衛ジャズを追究する。1987年のトリオ解散後はソロ演奏で独自の世界を切りひらくほか、さまざまなミュージシャンや詩人との共演を重ねる。アート作家として、サウンド・インスタレーションも手がけ、1994年から現在に至るまで、数多くの作品を発表している。著作に本書『トリオ』(1998)、『タムタム』(2009)のほか多数のCDがある。
鈴木 正美(スズキ マサミ)
1959年生まれ。新潟大学人文学部教授。専門は現代ロシア文化、特にオシップ・マンデリシュターム研究。現代ロシアの音楽、詩、アートの現場をフィールドワークしている。著作に『言葉の建築術──マンデリシュターム研究1』(群像社、2001年)、『ロシア・ジャズ―寒い国の熱い音楽』(ユーラシアブックレット№97、東洋書店、2006年)、『どこにもない言葉を求めて──現代ロシア詩の窓』(高志書院、2007年)ほか。
※上記内容は本書刊行時のものです。盗んだ大気 トマス・ヴェンツローヴァ
『太鼓手の運命』 アンドレイ・ビートフ
著者より
第1章 二人での演奏《OPUS A DUE》
トリオへの一歩、あるいは六〇年代半ばのアルハンゲリスク
ヴィリニュスの都、カフェ「ネリンガ」
1970年
二人での演奏
カウナス──これぞカウナス
私はいかに建築プランナーとして働いたか
ソ連のジャズ・フェスティヴァルでは何が起きていたのか?
スヴェルドロフスク将校会館ではチェカーシンの音楽でどのように踊ったのか そして彼はヴィリニュスへやってきた
第2章 企画《CONSILIUM》
1971年
トリオのはじまり、そしてソ連のジャズ・フェスティヴァルの周辺では何が起こっていたのか
友人たちについて
モスクワの70年代についてさらにいくつか
1972年
トリオの西側への初めての招待、そして、それがソ連でどのように行われたのか
1973年
フィルハーモニーへの就職の最初の試み
1974年
私たちの最初の出国の試み
私はいかにしてチェコスロヴァキアへ行けたか
公式的な活動のはじまり
1975年
私はいかにしてフランスへ勉強に行こうとしたか
最初の録音……
……そして、レコード
バルバンについて
第3章 徐々に《POCO A POCO》
1976年
ワルシャワ。トリオの最初の海外への出国。ウィリス・カノーヴァー
1977年
トリオの西側への初めての招待、そして、それがソ連でどのように行われたのか
ヴィリニュス・フィルハーモニーとノヴォシビルスクの学園都市における私たちの最初のコンサート
1978年
シベリアについてさらにいくつか
グルジア
キューバ。第11回若者と学生の全世界フェスティヴァル
1979年
ドイツ民主共和国。ハンガリー。「9つの部屋での室内楽」
1980年
ソ連対外友好・文化交流団体協議会およびノーボスチ通信社とはいかなるものか
「外套」
チェコスロヴァキアにて
「おや、何してたんだい?」
レオニード・フェイギン、アレクセイ・レオニードフと「レオ・レコード」について
労働組合──それらはどこもかしこも労働組合
第4章 さらに続く《POI SEGUE》
1981年
トリオ10周年
ルーマニアにて
コムソモールと共にドイツ連邦共和国へ
イタリアにて
1982年
「Non Troppo」
リトアニアのコムソモールと共にドイツ民主共和国へ
1983年
もう一度ルーマニアへの巡業
「壁紙」の報酬
ドイツではいかにfree jazzを演奏するか
どのようにして私たちはドルトムントで「外套」から逃げたか
楽器について
トリオにおける変化のはじまり。フィンランド
1984年
イギリス
ローマでの三つの出会い
第一の出会い──マリオ・スキアーノ
第二の出会い──マーク・ドレッサー
第三の出会い──アンタナス・ストゥクス
再び閉鎖
ユーゴスラヴィアにて
第5章 だんだんゆるやかに《RITARDANDO》
1985年
モスクワ。第12回若者と学生の全世界フェスティヴァル
オランダ
ポルトガル オーストリア
レニングラードの「秋のリズム」フェスティヴァル
1986年
インドにて
トリオ15周年
フランス
モスクワでのコンサート
ジョン・バラード、「スペース・エージェンシー」
「グッド・モーニング、アメリカ」
最後のコンサート
1987年
スラーヴァ・ガネーリンの旅立ち
トリオ後の一歩
あとがき
バルト三国について、およびトリオについてさらにいくつか
ガネーリン、タラーソフ、チェカーシン──夜の会話
パヴェウ・ブロドウスキの手紙
パウル・アケットの手紙
パウル・アケットと国立コンサート連盟との手紙のやりとり
ジョン・バラードの手紙
「トリオ」後のタラーソフ──訳者解説
訳者あとがき
ディスコグラフィー
書評掲載
「ジャズ批評」(2016年3月号)にて紹介されました。
「新潟日報」(2016年3月5日付)にて紹介されました。
「北日本新聞」「山梨日日新聞」「岩手日報」(以上、2016年3月13日付)にて紹介されました。
「秋田さきがけ」「福井新聞」「京都新聞」「山陰中央新報」「徳島新聞」「愛媛新聞」「宮崎日日新聞」「沖縄タイムス」「琉球新報」(以上、2016年3月20日付)にて紹介されました。
「長崎新聞」(2016年4月10日付/村井康司氏・評)にて紹介されました。
「レコード・コレクターズ」(2016年5月1日号/松尾史朗氏・評)にて紹介されました。
「新潟日報」(2016年4月17日付/村井康司氏・評)にて紹介されました。
「静岡新聞」(2016年5月29日付/村井康司氏・評)にて紹介されました。