マスメディアを通して公の言説が流布するなか、ほんとうに耳を傾けるべきは誰の声なのか。東日本大震災がもたらした見えない恐怖や言葉にできない感情は、写真や映画、論説、絵画、小説,ツイッターなどさまざまな形で表現されてきた。あの日、むき出しになった不条理や矛盾は、日本の文化にどのような変化を与えたのか。哲学や文学、映像学等の多様な分野の専門家による共同研究の成果。
ミツヨ・ワダ・マルシアーノ(ミツヨ ワダ マルシアーノ)
ミツヨ・ワダ・マルシアーノ(Mitsuyo Wada-Marciano)
京都大学大学院文学研究科教授(映像・メディア学)。『ニッポン・モダン――日本映画1920・30年代』名古屋大学出版会,2008年,Horror to the Extreme: Changing Boundaries in Asian Cinema, 香港大學出版社,2009年,『デジタル時代の日本映画――新しい映画のために』名古屋大学出版会,2010年,『「戦後」日本映画論』(編著)青弓社,2012年ほか。単著『No Nukes――映像作家たちの「声」』(仮題)を名古屋大学出版会から刊行予定。現在は,新しいブック・プロジェクトとしてエコ・シネマに取り組みながら,老齢化映画(aging film)やクイアー映画 (queer cinema)といった,社会の周辺に注目する映画研究にも取り組んでいる。
第I部 メディアとしてのアーカイブ
第1章 記憶メディアとしての災害遺構――3・11の記憶術【松浦雄介】
第2章 市民の記録映像に見る被災の差異――せんだいメディアテークの映像アーカイブより【北浦寛之】
第II部 浮遊するメディア言説、隠された現実
第3章 「安全安心」の創造――お札効果とその構造【西村大志】
第4章 震災関連死の原因について【一ノ瀬正樹】
第5章 ポスト3・11と代受苦の思想【出口康夫】
第III部 挑戦的メディア、「芸術」そして「文学」
第6章 3・11以後の芸術力【ミツヨ・ワダ・マルシアーノ】
第7章 写真家の使命――畠山直哉の「転回」から考える【近森高明】
第8章 上書きする震災後文学――柳美里の『JR上野駅公園口』を周辺からの歴史として読む【岩田=ワイケナント・クリスティーナ】
第IV部 映画、二〇世紀メディアの王道
第9章 『シン・ゴジラ』と『絆 再びの空へ』――二人のゴジラ監督は津波と原発事故をどう「記憶/忘却」したか【須藤遙子】
第10章 喪失と対峙する――震災以後の喪の映画における移動性【久保 豊】
第11章 “かつて3・11があった”――映画における災害と忘却のストラテジー【谷川建司】
第12章 記憶と身体を乗り越える――東北ドキュメンタリー三部作とポスト・福島ドキュメンタリー【馬 然】
第V部 イコン性メディア、マンガ&アニメーション
第13章 放射性物質の表象――見えないものを見ること、見えるようにすること【石田美紀】
第14章 破局と近視――宮崎駿『風立ちぬ』について【長門洋平】
あとがき
索引
第1章 記憶メディアとしての災害遺構――3・11の記憶術【松浦雄介】
第2章 市民の記録映像に見る被災の差異――せんだいメディアテークの映像アーカイブより【北浦寛之】
第II部 浮遊するメディア言説、隠された現実
第3章 「安全安心」の創造――お札効果とその構造【西村大志】
第4章 震災関連死の原因について【一ノ瀬正樹】
第5章 ポスト3・11と代受苦の思想【出口康夫】
第III部 挑戦的メディア、「芸術」そして「文学」
第6章 3・11以後の芸術力【ミツヨ・ワダ・マルシアーノ】
第7章 写真家の使命――畠山直哉の「転回」から考える【近森高明】
第8章 上書きする震災後文学――柳美里の『JR上野駅公園口』を周辺からの歴史として読む【岩田=ワイケナント・クリスティーナ】
第IV部 映画、二〇世紀メディアの王道
第9章 『シン・ゴジラ』と『絆 再びの空へ』――二人のゴジラ監督は津波と原発事故をどう「記憶/忘却」したか【須藤遙子】
第10章 喪失と対峙する――震災以後の喪の映画における移動性【久保 豊】
第11章 “かつて3・11があった”――映画における災害と忘却のストラテジー【谷川建司】
第12章 記憶と身体を乗り越える――東北ドキュメンタリー三部作とポスト・福島ドキュメンタリー【馬 然】
第V部 イコン性メディア、マンガ&アニメーション
第13章 放射性物質の表象――見えないものを見ること、見えるようにすること【石田美紀】
第14章 破局と近視――宮崎駿『風立ちぬ』について【長門洋平】
あとがき
索引
【編者紹介】
ミツヨ・ワダ・マルシアーノ(Mitsuyo Wada-Marciano)第6章・あとがき
京都大学大学院文学研究科教授(映像・メディア学)。『ニッポン・モダン――日本映画1920・30年代』名古屋大学出版会,2008年,Horror to the Extreme: Changing Boundaries in Asian Cinema, 香港大學出版社,2009年,『デジタル時代の日本映画――新しい映画のために』名古屋大学出版会,2010年,『「戦後」日本映画論』(編著)青弓社,2012年ほか。単著『No Nukes――映像作家たちの「声」』(仮題)を名古屋大学出版会から刊行予定。現在は,新しいブック・プロジェクトとしてエコ・シネマに取り組みながら,老齢化映画(aging film)やクイアー映画 (queer cinema)といった,社会の周辺に注目する映画研究にも取り組んでいる。
【執筆者紹介】
松浦雄介(まつうら ゆうすけ)第1章
1973年生まれ。熊本大学大学院人文社会科学研究部教授(社会学)。『記憶の不確定性――社会学的探究』東信堂,2005年,『映画は社会学する』(共編著)法律文化社,2016年,「記憶と文化遺産のあいだ――三池炭鉱の産業遺産化をめぐって」『西日本社会学会年報』 11号,37-50頁,2013年ほか。
北浦寛之(きたうら ひろゆき)第2章
1980年生まれ。セインズベリー日本藝術研究所フェロー(映画学・メディア論)。『マンガ・アニメで論文・レポートを書く――「好き」を学問にする方法』(共著)ミネルヴァ書房,2017年,『テレビ成長期の日本映画――メディア間交渉のなかのドラマ』名古屋大学出版会,2018年,『創発する日本へ――ポスト「失われた20年」のデッサン』(共著)弘文堂,2018年ほか。
西村大志(にしむら ひろし)第3章
1973年生まれ。広島大学大学院教育学研究科准教授(社会学)。『小学校で椅子に座ること』国際日本文化研究センター,2005年,『夜食の文化誌』(編著)青弓社,2010年,『映画は社会学する』(共編著)法律文化社,2016年ほか。
一ノ瀬正樹(いちのせ まさき)第4章
1957年生まれ。東京大学名誉教授・武蔵野大学グローバル学部教授(哲学)。『死の所有』東京大学出版会,2011年,『確率と曖昧性の哲学』岩波書店,2011年,『放射能問題に立ち向かう哲学』筑摩選書,2013年,『英米哲学入門』ちくま新書,2018年,"Normativity, probability, and meta-vagueness," Synthese, 194: 10, 3879-3900, 2017ほか。
出口康夫(でぐち やすお)第5章
1962年生まれ。京都大学大学院文学研究科教授(哲学)。Nothingness in Asian Philosophy, Routledge, 2014(共著); The Moon Points Back, Oxford University Press, 2015(共編著)ほか。
近森高明(ちかもり たかあき)第7章
1974年生まれ。慶應義塾大学文学部教授(社会学)。『ベンヤミンの迷宮都市』世界思想社,2007年,『無印都市の社会学』(共編)法律文化社,2013年,『都市のリアル』(共編)有斐閣,2013年ほか。
岩田=ワイケナント・クリスティーナ(Kristina Iwata-Weickgenannt)第8章
名古屋大学人文学研究科准教授(日本近現代文学)。Visions of precarity in Japanese popular culture and literature, Routledge, 2015(共編著); Fukushima and the arts—Negotiating nuclear disaster, Routledge, 2017(共編著)ほか。
須藤遙子(すどう のりこ)第9章
1969年生まれ。筑紫女学園大学教授(文化政治学・メディア社会論)。『自衛隊協力映画――『今日もわれ大空にあり』から『名探偵コナン』まで』大月書店,2013年,『東アジアのクリエイティヴ産業――文化のポリティクス』(共編著)森話社,2015年ほか。
久保 豊(くぼ ゆたか)第10章
1985年生まれ。早稲田大学坪内博士記念演劇博物館助教(映画学)。「天女のくちづけ――『お嬢さん乾杯!』における原節子」『ユリイカ』2016年2月号,青土社,「『夕やけ雲』(1956年)における木下惠介のクィアな感性」『映画研究』10号ほか。
谷川建司(たにかわ たけし)第11章
1962年生まれ。早稲田大学政治経済学術院客員教授(映画史)。『アメリカ映画と占領政策』京都大学学術出版会,2002年,『戦後「忠臣蔵」映画の全貌』集英社クリエイティブ,2013年,『戦後映画の産業空間――資本・娯楽・興行』森話社,2016年,『高麗屋三兄弟と映画』雄山閣,2018年ほか。
馬 然(Ma Ran; マ ラン)第12章
1980年生まれ。名古屋大学人文学研究科准教授(映像学)。論文に"A Landscape Over There: Rethinking Translocality in Zhang Lu's Border Crossing Films,” Verge: Studies in Global Asias (Vol. 4. 1, 2018)ほか。
名取雅航(なとり まさかず)第12章翻訳
1986年生まれ。金沢大学,富山大学非常勤講師(映像学,英語)。論文に「电影改编作品中被编辑的男性:以《自由学校》(1951)与《女之园》(1954)为例」『当代电影(Contemporary Cinema)』Vol. 227,2015年2月ほか。
石田美紀(いしだ みのり)第13章
1972年生まれ。新潟大学人文学部准教授(映像文化論)。『密やかな教育――〈やおい・ボーイズラブ〉前史』洛北出版,2008年,『アニメ研究入門(応用編)』(共著)現代書館,2018年ほか。
長門洋平(ながと ようへい)第14章
1981年生まれ。京都精華大学ほか非常勤講師(聴覚文化論・映画学)。『映画音響論 溝口健二映画を聴く』みすず書房,2014年,『戦後映画の産業空間――資本・娯楽・興行』(共著)森話社,2016年,『川島雄三は二度生まれる』(共著)水声社,2018年ほか。
ミツヨ・ワダ・マルシアーノ(Mitsuyo Wada-Marciano)第6章・あとがき
京都大学大学院文学研究科教授(映像・メディア学)。『ニッポン・モダン――日本映画1920・30年代』名古屋大学出版会,2008年,Horror to the Extreme: Changing Boundaries in Asian Cinema, 香港大學出版社,2009年,『デジタル時代の日本映画――新しい映画のために』名古屋大学出版会,2010年,『「戦後」日本映画論』(編著)青弓社,2012年ほか。単著『No Nukes――映像作家たちの「声」』(仮題)を名古屋大学出版会から刊行予定。現在は,新しいブック・プロジェクトとしてエコ・シネマに取り組みながら,老齢化映画(aging film)やクイアー映画 (queer cinema)といった,社会の周辺に注目する映画研究にも取り組んでいる。
【執筆者紹介】
松浦雄介(まつうら ゆうすけ)第1章
1973年生まれ。熊本大学大学院人文社会科学研究部教授(社会学)。『記憶の不確定性――社会学的探究』東信堂,2005年,『映画は社会学する』(共編著)法律文化社,2016年,「記憶と文化遺産のあいだ――三池炭鉱の産業遺産化をめぐって」『西日本社会学会年報』 11号,37-50頁,2013年ほか。
北浦寛之(きたうら ひろゆき)第2章
1980年生まれ。セインズベリー日本藝術研究所フェロー(映画学・メディア論)。『マンガ・アニメで論文・レポートを書く――「好き」を学問にする方法』(共著)ミネルヴァ書房,2017年,『テレビ成長期の日本映画――メディア間交渉のなかのドラマ』名古屋大学出版会,2018年,『創発する日本へ――ポスト「失われた20年」のデッサン』(共著)弘文堂,2018年ほか。
西村大志(にしむら ひろし)第3章
1973年生まれ。広島大学大学院教育学研究科准教授(社会学)。『小学校で椅子に座ること』国際日本文化研究センター,2005年,『夜食の文化誌』(編著)青弓社,2010年,『映画は社会学する』(共編著)法律文化社,2016年ほか。
一ノ瀬正樹(いちのせ まさき)第4章
1957年生まれ。東京大学名誉教授・武蔵野大学グローバル学部教授(哲学)。『死の所有』東京大学出版会,2011年,『確率と曖昧性の哲学』岩波書店,2011年,『放射能問題に立ち向かう哲学』筑摩選書,2013年,『英米哲学入門』ちくま新書,2018年,"Normativity, probability, and meta-vagueness," Synthese, 194: 10, 3879-3900, 2017ほか。
出口康夫(でぐち やすお)第5章
1962年生まれ。京都大学大学院文学研究科教授(哲学)。Nothingness in Asian Philosophy, Routledge, 2014(共著); The Moon Points Back, Oxford University Press, 2015(共編著)ほか。
近森高明(ちかもり たかあき)第7章
1974年生まれ。慶應義塾大学文学部教授(社会学)。『ベンヤミンの迷宮都市』世界思想社,2007年,『無印都市の社会学』(共編)法律文化社,2013年,『都市のリアル』(共編)有斐閣,2013年ほか。
岩田=ワイケナント・クリスティーナ(Kristina Iwata-Weickgenannt)第8章
名古屋大学人文学研究科准教授(日本近現代文学)。Visions of precarity in Japanese popular culture and literature, Routledge, 2015(共編著); Fukushima and the arts—Negotiating nuclear disaster, Routledge, 2017(共編著)ほか。
須藤遙子(すどう のりこ)第9章
1969年生まれ。筑紫女学園大学教授(文化政治学・メディア社会論)。『自衛隊協力映画――『今日もわれ大空にあり』から『名探偵コナン』まで』大月書店,2013年,『東アジアのクリエイティヴ産業――文化のポリティクス』(共編著)森話社,2015年ほか。
久保 豊(くぼ ゆたか)第10章
1985年生まれ。早稲田大学坪内博士記念演劇博物館助教(映画学)。「天女のくちづけ――『お嬢さん乾杯!』における原節子」『ユリイカ』2016年2月号,青土社,「『夕やけ雲』(1956年)における木下惠介のクィアな感性」『映画研究』10号ほか。
谷川建司(たにかわ たけし)第11章
1962年生まれ。早稲田大学政治経済学術院客員教授(映画史)。『アメリカ映画と占領政策』京都大学学術出版会,2002年,『戦後「忠臣蔵」映画の全貌』集英社クリエイティブ,2013年,『戦後映画の産業空間――資本・娯楽・興行』森話社,2016年,『高麗屋三兄弟と映画』雄山閣,2018年ほか。
馬 然(Ma Ran; マ ラン)第12章
1980年生まれ。名古屋大学人文学研究科准教授(映像学)。論文に"A Landscape Over There: Rethinking Translocality in Zhang Lu's Border Crossing Films,” Verge: Studies in Global Asias (Vol. 4. 1, 2018)ほか。
名取雅航(なとり まさかず)第12章翻訳
1986年生まれ。金沢大学,富山大学非常勤講師(映像学,英語)。論文に「电影改编作品中被编辑的男性:以《自由学校》(1951)与《女之园》(1954)为例」『当代电影(Contemporary Cinema)』Vol. 227,2015年2月ほか。
石田美紀(いしだ みのり)第13章
1972年生まれ。新潟大学人文学部准教授(映像文化論)。『密やかな教育――〈やおい・ボーイズラブ〉前史』洛北出版,2008年,『アニメ研究入門(応用編)』(共著)現代書館,2018年ほか。
長門洋平(ながと ようへい)第14章
1981年生まれ。京都精華大学ほか非常勤講師(聴覚文化論・映画学)。『映画音響論 溝口健二映画を聴く』みすず書房,2014年,『戦後映画の産業空間――資本・娯楽・興行』(共著)森話社,2016年,『川島雄三は二度生まれる』(共著)水声社,2018年ほか。
書評掲載
「信濃毎日新聞」(2019年3月3日付/佐藤卓己氏・評)に紹介されました。