〈差延〉や〈脱構築〉の基本概念が明らかにされるデリダ1970年代の重要なテキストの完訳。下巻には、フッサールを論じた「形式と〈言わんとする作用〉」、バンヴェニストの言語学「繫辞の代補」、リクールとの論争を招いた「白い神話」、ヴァレリー論「痛み、源泉」、オースティンの言語行為論をめぐって〈デリダ=サール論争〉を巻き起こした「署名 出来事 コンテクスト」の5論考を収める。
J.デリダ(デリダ ジャック)
1930–2004年。アルジェリア生まれのユダヤ系哲学者。パリの高等師範学校で哲学を専攻。同校の哲学教授を経て、社会科学高等研究院教授を務める。西洋形而上学におけるロゴス中心主義の脱構築を提唱し、構造主義以降の人文社会科学の広範な領域──文学・芸術理論、言語論、政治・法哲学、歴史学、建築論ほか──に多大な影響をもたらした。邦訳書に『エクリチュールと差異』『哲学の余白』『散種』『有限責任会社』『絵画における真理』『法の力』『ユリシーズ グラモフォン』『シニェポンジュ』『アーカイヴの病』(以上、法政大学出版局)、『声と現象』(理想社)、『グラマトロジーについて』(現代思潮新社)、『友愛のポリティックス』『フッサール哲学における発生の問題』(みすず書房)、『アポリア』(人文書院)、『そのたびごとにただ一つ、世界の終焉』(岩波書店)、『死を与える』(筑摩書房)、『精神分析の抵抗』(青土社)、『マルクスの亡霊たち』(藤原書店)、『条件なき大学』(月曜社)ほか多数。
藤本 一勇(フジモト カズイサ)
1966年生まれ。早稲田大学文学学術院教授。20世紀フランス哲学専攻。著書に『情報のマテリアリズム』(NTT出版)、『外国語学』(岩波書店)、『批判感覚の再生』(白澤社)、共著に『現代思想入門』(PHP研究所)、訳書にデリダ『散種』(共訳、法政大学出版局)、同『プシュケー I・II』『哲学のナショナリズム』、デリダ/ルディネスコ『来たるべき世界のために』、デリダ/ハーバーマス『テロルの時代と哲学の使命』(以上、岩波書店)、ラクー=ラバルト『歴史の詩学』、バディウ『存在と出来事』『哲学の条件』(以上、藤原書店)ほか。
※上記内容は本書刊行時のものです。形式と〈言わんとする作用〉
──言語作用の現象学についての注記
テクストのなかの〈言わんとする作用〉
鏡のなかのエクリチュール
形式の限界‐能力
「ある」という形式──その省略=不足
繫辞の代補──言語学の前にある哲学
狂詩曲
転移
超越論的なものと言語
代補のなかの残余。動詞「在る」の直説法現在三人称単数形について
白い神話──哲学テクストのなかの隠喩
銘句
さらなる隠喩=もはや隠喩なし
太陽の省略──謎、理解=包含不可能なもの、奪取不可能なもの
修辞学の花々──向日葵
形而上学──隠喩の止揚
痛み 源泉
──ヴァレリーの源泉
隆起=跳ね返り
Der sich aufhebende Ursprung あるいは源泉の杯=切断
哲学の要点=哲学なし──エクリチュール
出来事と他者の体制──響き
錯綜体(形式主義たちの問い)──ニーチェとフロイト
署名 出来事 コンテクスト
エクリチュールと遠隔コミュニケーション
寄生者たち。ITER〔また〕、いくらかエクリチュールについて。
おそらくエクリチュールは現実存在しないということ。
署名たち
原注
原注に対する訳注
訳注
訳者謝辞
──言語作用の現象学についての注記
テクストのなかの〈言わんとする作用〉
鏡のなかのエクリチュール
形式の限界‐能力
「ある」という形式──その省略=不足
繫辞の代補──言語学の前にある哲学
狂詩曲
転移
超越論的なものと言語
代補のなかの残余。動詞「在る」の直説法現在三人称単数形について
白い神話──哲学テクストのなかの隠喩
銘句
さらなる隠喩=もはや隠喩なし
太陽の省略──謎、理解=包含不可能なもの、奪取不可能なもの
修辞学の花々──向日葵
形而上学──隠喩の止揚
痛み 源泉
──ヴァレリーの源泉
隆起=跳ね返り
Der sich aufhebende Ursprung あるいは源泉の杯=切断
哲学の要点=哲学なし──エクリチュール
出来事と他者の体制──響き
錯綜体(形式主義たちの問い)──ニーチェとフロイト
署名 出来事 コンテクスト
エクリチュールと遠隔コミュニケーション
寄生者たち。ITER〔また〕、いくらかエクリチュールについて。
おそらくエクリチュールは現実存在しないということ。
署名たち
原注
原注に対する訳注
訳注
訳者謝辞