テクストの熟読を通じて〈私〉を問い、書くことの暴力のただなかで〈私〉を外部へ、他者へと開いていくこと──。小林秀雄、中野重治、秋山駿、江藤淳ら日本文芸批評の潜勢力を受け継ぎ、室井光広のてんでんこな魂とともに更新される文学的革命と連帯のミッション。シモーヌ・ヴェイユ論で群像新人評論賞を受賞した気鋭の批評家、待望の第一評論集!
川口 好美(カワグチ ヨシミ)
川口 好美 1987年、大阪生れ。東海大学文学部文芸創作学科卒。2021年から、静岡県川根本町の小集落・沢間で「本とおもちゃ てんでんこ」を家族で営む。文芸批評家。
※上記内容は本書刊行時のものです。1 不幸と共存
不幸と共存──シモーヌ・ヴェイユ試論
暴力と生存──小林秀雄試論
マニウケル
僕の文学のふるさと
切実な「対決点」
批評の牙
ボーヨー、ボーヨー
2 〈てんでんこ〉な協働へ──室井光広讃
室井光広、まぼろしのシショチョー
室井光広の喉仏
「世界劇場」で正しく「不安」を学ぶ──遺著『詩記列伝序説』『多和田葉子ノート』に寄せて
多和田葉子のための“愛苦しさ”あふれるノート
ジェイムズ・ジョイスと『エセ物語』
『エセ物語』解説
『おどるでく 猫又伝奇集』解説
3 対抗する批評へ
差別への問い(Ⅰ)──在日の「私」/秋山駿の〈私〉
差別への問い(Ⅱ)──中野重治試論
文芸時評 二〇二一年
てんでんこな〝オクラ〟建立(二月)
自らの歪みの意味を問う軌跡(四月)
文芸批評は暗渠のように流れ(七月)
個別的な経験と一般的な思考のあいだ(九月)
文学という流れ(年末回顧)
「ぼく達」のゆくえ──住本麻子氏の「反論」に答える
書 評
沈黙とノイズの音楽──児玉雨子『誰にも奪われたくない/凸撃』
“この二人”の小説──児玉雨子『##NAME##』
未知の臓器が脈打つリズム──朝比奈秋『私の盲端』
物語と秘密──小松原織香『当事者は嘘をつく』
「美しい生活」の論理──笙野頼子『発禁小説集』
われわれ男たちの呆れかえった共同事業
──杉田俊介『ジャパニメーションの成熟と喪失』
『マジョリティ男性にとってまっとうさとは何か』
「批評」=「運動」としての革命へ──杉田俊介『橋川文三とその浪曼』
補遺 江藤淳ノート
後 記
不幸と共存──シモーヌ・ヴェイユ試論
暴力と生存──小林秀雄試論
マニウケル
僕の文学のふるさと
切実な「対決点」
批評の牙
ボーヨー、ボーヨー
2 〈てんでんこ〉な協働へ──室井光広讃
室井光広、まぼろしのシショチョー
室井光広の喉仏
「世界劇場」で正しく「不安」を学ぶ──遺著『詩記列伝序説』『多和田葉子ノート』に寄せて
多和田葉子のための“愛苦しさ”あふれるノート
ジェイムズ・ジョイスと『エセ物語』
『エセ物語』解説
『おどるでく 猫又伝奇集』解説
3 対抗する批評へ
差別への問い(Ⅰ)──在日の「私」/秋山駿の〈私〉
差別への問い(Ⅱ)──中野重治試論
文芸時評 二〇二一年
てんでんこな〝オクラ〟建立(二月)
自らの歪みの意味を問う軌跡(四月)
文芸批評は暗渠のように流れ(七月)
個別的な経験と一般的な思考のあいだ(九月)
文学という流れ(年末回顧)
「ぼく達」のゆくえ──住本麻子氏の「反論」に答える
書 評
沈黙とノイズの音楽──児玉雨子『誰にも奪われたくない/凸撃』
“この二人”の小説──児玉雨子『##NAME##』
未知の臓器が脈打つリズム──朝比奈秋『私の盲端』
物語と秘密──小松原織香『当事者は嘘をつく』
「美しい生活」の論理──笙野頼子『発禁小説集』
われわれ男たちの呆れかえった共同事業
──杉田俊介『ジャパニメーションの成熟と喪失』
『マジョリティ男性にとってまっとうさとは何か』
「批評」=「運動」としての革命へ──杉田俊介『橋川文三とその浪曼』
補遺 江藤淳ノート
後 記
書評掲載
「週刊読書人」(2024年01月26日号/川口好美氏、杉田俊介氏・対談)に紹介されました。