叢書・ウニベルシタス 1038
哲学的急進主義の成立 Ⅱ
最大幸福主義理論の進展 1789–1815年
第53回 日本翻訳出版文化賞受賞
四六判 / 384ページ / 上製 / 価格 7,480円 (消費税 680円)
ISBN978-4-588-01038-5 C1310 [2016年10月 刊行]
ISBN978-4-588-01038-5 C1310 [2016年10月 刊行]
全3巻の中心となる本巻では、最大幸福主義が政治的急進主義へと転回する過程が精密に叙述される。フランス革命と人権宣言がもたらした思想的危機は、有益性や正義の原理をめぐるベンサムの政治経済理論にいかなる進展をもたらしたか。スミス、バーク、マキントッシュ、ペイン、ゴドウィン、マルサス、J.ミル、リカードゥたちとの思想的交渉を捉えた圧巻の研究。P.ブーレッツによる解説を収録。
エリー・アレヴィ(アレヴィ エリー)
(Élie Halévy, 1870–1937)
1889年高等師範学校に入学,理想主義哲学者A.ダルリュ教授の薫陶を受ける。1892年に卒業後,友人とともに翌年『形而上学と道徳評論』を創刊,生涯その運営に携わる。学生時代には第三共和制の三大事件(ブーランジェ事件,パナマ事件,ドレフュス事件)を経験し,金銭スキャンダル,対独復讐心,ユダヤ人差別というフランス社会の病弊と腐敗からの道徳的再生を終生の課題とした。1893年,フランスの主要官僚養成学校である政治学高等専門学校(通称シアンスポ,現パリ政治学院)教授に就任。この学校で40年余にわたってブリテン経済学史と社会主義史を講じた。ソルボンヌは二度にわたってアレヴィを教授として迎えようとしたが,実践哲学を重視する彼は動こうとしなかった。主要著作に,『プラトンの科学理論』(1896年),『哲学的急進主義の成立』(1901–1904年),『トマス・ホジスキン(1787–1869)』(1903年),『ブリテンとその帝国』(1905年),『19世紀イングランド国民の歴史』(1912–1932年)などがある。
永井 義雄(ナガイ ヨシオ)
1931年愛知県生まれ。1954年名古屋大学経済学部卒業,1959年同大学院博士課程満了。金沢大学,名古屋大学,一橋大学,関東学院大学教授を歴任。経済学史・社会思想史専攻。経済学博士,名古屋大学名誉教授。『イギリス急進主義の研究』(御茶の水書房)ほか著書,編著書,訳書がある。
※上記内容は本書刊行時のものです。第Ⅱ巻 最大幸福主義理論の進展 一七八九─一八一五年
まえがき
第一章 政治問題
Ⅰ 有益性の原理 対 人権宣言──バークとベンサム
プライスの説教/プライス宛の回答のさいにバークは有益性の原理に立脚する/経験的最大幸福主義と演繹的最大幸福主義/既得知識の理論/取得時効の理論/バークとベンサム/一七八九年のランズダウン卿/ロミリ、ベンサムおよび制憲議会/『議会手続法』/『司法組織法典』/ベンサムは民主主義者ではない/ランズダウン卿と革命/ロミリと革命/ベンサムと革命/ベンサム、フランス市民となる/人権宣言批判としての『アナキスト的詭弁』/ベンサムの様々な著作/ジュネーヴのデュモンと革命、グレンヴェルト書簡/『民法と刑法の立法理論』の準備と出版
Ⅱ マキントッシュ、ペインおよびゴドウィン
バークに対する回答/単純統治の理論と複雑統治の理論との対立/マキントッシュ、有益性の哲学と人権の哲学との間で不決断/ペインにおける自然権の原理/成文憲法の必要性/平等主義と個人主義/ペインにおける利害の自然的一致の原理/統治なき社会/ペインからゴドウィンへの移行/ゴドウィンと有益性の原理/彼は権利概念を批判するために有益性原理に立脚する/良心の自由/法律の観念の批判/および刑罰の観念の批判/ゴドウィンとその時代/ゴドウィン、共和主義者にして最大幸福主義者/しかしながら、彼の理論をベンサム主義から区別する主知主義的要素
第二章 経済問題
Ⅰ 保護を求める権利──ウィリアム・ゴドウィン
保護を受ける権利は有益性の原理から引き出すことができる。保護を受ける権利と労働する権利/イングランドの生活保護〔救貧〕法/ピットの法案/ペインと保護を受ける権利/ゴドウィン、有益性の原理に基づいて行われた個人的所有権の批判/所有の三段階/有益性の哲学の先駆者たちにおけるこの理論の萌芽/アダム・スミスおよびゴドウィンにおける利害の一致の原理/ゴドウィンにおける奢侈批判/現実社会における利害の不調和/ゴドウィンは暴力革命家ではない/人口の問題/ペイリ/ウォーレス/コンドルセ/機械/ゴドウィンにおいて有益性の理論は非政治的社会主義に向かう
Ⅱ 人口の原理──ロバート・マルサス
経済状態の異常/生活保護法〔救貧〕に敵対するアダム・スミス学派、有益性の理論における労働の法則/最大幸福主義の先駆者たちにおけるマルサス理論の萌芽、ヒューム/アダム・スミス/ジョウジフ・タウンゼンド/バークの保守的楽観主義/保護を受ける権利に反対するベンサム/生活保護〔救貧〕法案を論ずる/問題の解決にパノプティコン計画と利害の人為的一致の原理とを適用する/民衆の教育/マルサスは正統理論に明確な形態を与える/彼がコンドルセに負うもの/彼はアダム・スミスの基本観念とゴドウィンの基本観念を融合させる/生活保護〔救貧〕法に対する非難/第二版/マルサスはコンドルセになおもっと近づく/民衆の教育/マルサスは進歩の観念を否定するのでなく是正する/彼の影響は民主的党派に及んでいる/彼の成功の原因、歴史的および経済的諸事情/マルサスの法則の疑似数学的定式/マルサスと有益性の原理/彼は利害の自然的一致の原理をいかに修正しているか
第三章 ベンサム、ジェイムズ・ミルおよびベンサム主義者たち
Ⅰ 急進主義の誕生
一八〇八年に博愛主義者ベンサムの生涯は失敗に終わる。パノプティコンの流産/不満なベンサムは民主主義者となる/しかし、一八〇八年までトーリのままである/彼を民主主義者とするのは、この頃に彼が知己を得るジェイムズ・ミルである/出版の自由の擁護/バーデットとホーン・トゥク/ベンサムとジェイムズ・ミルは、一八〇九年には彼らと歩調を揃えて普通選挙を主張するまでにはいたらない/『議会改革問答』/ベンサムはカートライト、フランシス・プレイスと提携する/「急進主義」/一八一八年にベンサムとバーデットは普通選挙を要求する/ベンサムとジェイムズ・ミルは急進主義に哲学的性格を与える
Ⅱ アダム・スミスからリカードゥへ/
一七七六年から一八一七年にいたるイングランドの経済科学/リカードゥの思想に与えたベンサムおよびジェイムズ・ミルの影響はどんなものであったか/富の分配法則の科学としての政治経済学/フランス重農主義の起源/コンドルセ/J─B・セー/ベンサムの影響なし/フランスの経済学者たちとリカードゥとの中間項としてのジェイムズ・ミルの影響の現実性/動態的法則の観念/ジェイムズ・ミルにおける基本的なもの/ハートリとプリーストリ、コンドルセとマルサス/コンドルセの定式とマルサスの定式との調停を志すジェイムズ・ミル/差額地代の法則/起源/ウェスト/マルサス/リカードゥ/ジェイムズ・ミルと一八一七年の『原理』の準備/ジェイムズ・ミルがリカードゥを純理論家にする
Ⅲ 民衆の教育
エルヴェシウスの理論/スチュアート・ミルの教育/ベンサム主義者たちと教育理論家たち、ロバート・オウエン、ウィリアム・アレン/ランカスター・システム/ベンサムの『クレストメイシア』/ジェイムズ・ミルの『教育』論/イングランド国教会に対する異議/ベンサム主義者たちの無信仰/『自然宗教の影響の分析』/ジェイムズ・ミルの反キリスト教/ランカスター協会内部における宗教的難問と失敗
Ⅳ ベンサムの声望の高まり
ロシアとスペインにおける名声/スペイン領アメリカ、イタリアおよびギリシアにおける名声/イングランドにおけるベンサムの影響力の誕生/ロミリと刑法改革/理論の普及者としてのジェイムズ・ミル/ベンサム、議会の補償を得てフォード修道院を借りる/ベンサムの著作の晦渋さの増大と、敵意の増大/ベンサム学派の形成におけるジェイムズ・ミルの役割/日の出の勢いのミル/彼の影響力/最大幸福主義者たち
注
文献目録
エリー・アレヴィと近代民主主義の両義性──急進主義と自由主義(ピエール・ブーレッツ)
人名索引(Ⅱ巻)
まえがき
第一章 政治問題
Ⅰ 有益性の原理 対 人権宣言──バークとベンサム
プライスの説教/プライス宛の回答のさいにバークは有益性の原理に立脚する/経験的最大幸福主義と演繹的最大幸福主義/既得知識の理論/取得時効の理論/バークとベンサム/一七八九年のランズダウン卿/ロミリ、ベンサムおよび制憲議会/『議会手続法』/『司法組織法典』/ベンサムは民主主義者ではない/ランズダウン卿と革命/ロミリと革命/ベンサムと革命/ベンサム、フランス市民となる/人権宣言批判としての『アナキスト的詭弁』/ベンサムの様々な著作/ジュネーヴのデュモンと革命、グレンヴェルト書簡/『民法と刑法の立法理論』の準備と出版
Ⅱ マキントッシュ、ペインおよびゴドウィン
バークに対する回答/単純統治の理論と複雑統治の理論との対立/マキントッシュ、有益性の哲学と人権の哲学との間で不決断/ペインにおける自然権の原理/成文憲法の必要性/平等主義と個人主義/ペインにおける利害の自然的一致の原理/統治なき社会/ペインからゴドウィンへの移行/ゴドウィンと有益性の原理/彼は権利概念を批判するために有益性原理に立脚する/良心の自由/法律の観念の批判/および刑罰の観念の批判/ゴドウィンとその時代/ゴドウィン、共和主義者にして最大幸福主義者/しかしながら、彼の理論をベンサム主義から区別する主知主義的要素
第二章 経済問題
Ⅰ 保護を求める権利──ウィリアム・ゴドウィン
保護を受ける権利は有益性の原理から引き出すことができる。保護を受ける権利と労働する権利/イングランドの生活保護〔救貧〕法/ピットの法案/ペインと保護を受ける権利/ゴドウィン、有益性の原理に基づいて行われた個人的所有権の批判/所有の三段階/有益性の哲学の先駆者たちにおけるこの理論の萌芽/アダム・スミスおよびゴドウィンにおける利害の一致の原理/ゴドウィンにおける奢侈批判/現実社会における利害の不調和/ゴドウィンは暴力革命家ではない/人口の問題/ペイリ/ウォーレス/コンドルセ/機械/ゴドウィンにおいて有益性の理論は非政治的社会主義に向かう
Ⅱ 人口の原理──ロバート・マルサス
経済状態の異常/生活保護法〔救貧〕に敵対するアダム・スミス学派、有益性の理論における労働の法則/最大幸福主義の先駆者たちにおけるマルサス理論の萌芽、ヒューム/アダム・スミス/ジョウジフ・タウンゼンド/バークの保守的楽観主義/保護を受ける権利に反対するベンサム/生活保護〔救貧〕法案を論ずる/問題の解決にパノプティコン計画と利害の人為的一致の原理とを適用する/民衆の教育/マルサスは正統理論に明確な形態を与える/彼がコンドルセに負うもの/彼はアダム・スミスの基本観念とゴドウィンの基本観念を融合させる/生活保護〔救貧〕法に対する非難/第二版/マルサスはコンドルセになおもっと近づく/民衆の教育/マルサスは進歩の観念を否定するのでなく是正する/彼の影響は民主的党派に及んでいる/彼の成功の原因、歴史的および経済的諸事情/マルサスの法則の疑似数学的定式/マルサスと有益性の原理/彼は利害の自然的一致の原理をいかに修正しているか
第三章 ベンサム、ジェイムズ・ミルおよびベンサム主義者たち
Ⅰ 急進主義の誕生
一八〇八年に博愛主義者ベンサムの生涯は失敗に終わる。パノプティコンの流産/不満なベンサムは民主主義者となる/しかし、一八〇八年までトーリのままである/彼を民主主義者とするのは、この頃に彼が知己を得るジェイムズ・ミルである/出版の自由の擁護/バーデットとホーン・トゥク/ベンサムとジェイムズ・ミルは、一八〇九年には彼らと歩調を揃えて普通選挙を主張するまでにはいたらない/『議会改革問答』/ベンサムはカートライト、フランシス・プレイスと提携する/「急進主義」/一八一八年にベンサムとバーデットは普通選挙を要求する/ベンサムとジェイムズ・ミルは急進主義に哲学的性格を与える
Ⅱ アダム・スミスからリカードゥへ/
一七七六年から一八一七年にいたるイングランドの経済科学/リカードゥの思想に与えたベンサムおよびジェイムズ・ミルの影響はどんなものであったか/富の分配法則の科学としての政治経済学/フランス重農主義の起源/コンドルセ/J─B・セー/ベンサムの影響なし/フランスの経済学者たちとリカードゥとの中間項としてのジェイムズ・ミルの影響の現実性/動態的法則の観念/ジェイムズ・ミルにおける基本的なもの/ハートリとプリーストリ、コンドルセとマルサス/コンドルセの定式とマルサスの定式との調停を志すジェイムズ・ミル/差額地代の法則/起源/ウェスト/マルサス/リカードゥ/ジェイムズ・ミルと一八一七年の『原理』の準備/ジェイムズ・ミルがリカードゥを純理論家にする
Ⅲ 民衆の教育
エルヴェシウスの理論/スチュアート・ミルの教育/ベンサム主義者たちと教育理論家たち、ロバート・オウエン、ウィリアム・アレン/ランカスター・システム/ベンサムの『クレストメイシア』/ジェイムズ・ミルの『教育』論/イングランド国教会に対する異議/ベンサム主義者たちの無信仰/『自然宗教の影響の分析』/ジェイムズ・ミルの反キリスト教/ランカスター協会内部における宗教的難問と失敗
Ⅳ ベンサムの声望の高まり
ロシアとスペインにおける名声/スペイン領アメリカ、イタリアおよびギリシアにおける名声/イングランドにおけるベンサムの影響力の誕生/ロミリと刑法改革/理論の普及者としてのジェイムズ・ミル/ベンサム、議会の補償を得てフォード修道院を借りる/ベンサムの著作の晦渋さの増大と、敵意の増大/ベンサム学派の形成におけるジェイムズ・ミルの役割/日の出の勢いのミル/彼の影響力/最大幸福主義者たち
注
文献目録
エリー・アレヴィと近代民主主義の両義性──急進主義と自由主義(ピエール・ブーレッツ)
人名索引(Ⅱ巻)
書評掲載
「イギリス哲学研究」(第41号/有江大介氏・評)にて紹介されました。