叢書・ウニベルシタス 1050
カンギレムと経験の統一性
判断することと行動すること 1926–1939年
四六判 / 422ページ / 上製 / 価格 4,620円 (消費税 420円)
ISBN978-4-588-01050-7 C1310 [2017年02月 刊行]
ISBN978-4-588-01050-7 C1310 [2017年02月 刊行]
カンギレムのエピステモロジーは、承服しがたいものと判断された「現在」と常に格闘し、抵抗する戦闘的エピステモロジーである。カントに源泉をもつ「判断」の哲学から、「生命」そして「医学」を参照する「価値」と「行動」と「選択」の哲学へ。新たな現実を創り出すべく、危険を冒し、行動的に参与する〈哲学者カンギレム〉の知的道程と、その独創的な〈生きているものの哲学〉を明らかにする。
グザヴィエ・ロート(ロート グザヴィエ)
(Xavier Roth)
エクサンプロヴァンスのレ・ミル強制収容所(Camps des Milles)・歴史・人間科学博物館の研究員などを経て、現在はグルノーブル゠アルプ大学教育学研究科准教授。専門は規範性の哲学。本書は、2010年にカナダ・ケベック大学モントリオール校およびフランス・エクス゠マルセイユ大学(旧プロヴァンス大学)に提出した博士論文をもとにしている。2011年から刊行が始まった『カンギレム全著作集(Œuvres complètes)』第1巻では編集委員に加わり、カンギレムとカミーユ・プラネの共作になる教科書『論理・道徳概論(Traité de Logique et de Morale)』の解説を担当。
田中 祐理子(タナカ ユリコ)
1973年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科(超域文化科学専攻・表象文化論)博士課程単位取得退学。博士(学術)。現在、京都大学人文科学研究所助教。専門は哲学、近代医学思想史。著書に『科学と表象――「病原菌」の歴史』(名古屋大学出版会、2013年)。共著に金森修編『合理性の考古学――フランスの科学思想史』(東京大学出版会、2012年)、富永茂樹編『啓蒙の運命』(名古屋大学出版会、2011年)など。
※上記内容は本書刊行時のものです。緒言 クロード・ドブリュ
序章 「仮面を被って進み出る」──哲学者カンギレム
逆説的な影響力を持った専門的な著作
カンギレムの戦闘的エピステモロジー
生命と論争
「生物学的規範性」という概念の形成
第一部 判断することと行動すること(1926─1934年)
──カンギレムと反省的「思考様式」
第一章 アラン
「剥き出しの事実」という概念の批判
カント認識論の人間学的地滑り
「真の哲学者」
第二章 反省的分析──ある哲学的「思考様式」
知覚することとは判断することである
アランとベルクソン──ある「流派の対立」
ラニョーと「カントの教え」
一九世紀末フランスのカント受容
第三章 〈私は考える〉
ラシュリエ──帰納の基礎
ラニョー──知覚の基礎
第四章 精神対世界
「根源的─論争的」統一
『海辺の対話』──悟性の哲学のためのマニフェスト
現実存在の衝撃
労働──人間的活動のパラダイム
第五章 反省的分析の道徳的帰結
認識の理論を経由する道徳
懐疑──自由の証拠
「自由の論理」
精神──価値づけの力能
移行のために──〈コギト〉の消尽
「個人的な問い」
〈私は考える〉解体の歴史
『言葉と物』を読むカンギレム
反省的「様式」は断念されるべきなのか
第二部 行動することと判断すること(1935─1939年)
──行動の火急性が悟性を超え出るということ
第六章 判断について
判断するとはいかなることか
判断すること、それは意志すること=望むことである
治療すること、それは判断することである
第七章 『ファシズムと農民』──マルクス主義と「裁かれた」歴史
歴史的必然性の哲学
唯物論とはフェティシズムである
価値の歴史性という問題──ストア派としてのアラン
アランの方法における死角
価値の唯一性という問題
第八章 超え出られる悟性
〈技術〉と価値の哲学
行動とは何か──崇高なるカヴァイエス
「デカルトと技術」──転換点となるテクスト
「生きているものの要求」
生きているもの──なおかつ人間として
第九章 必然性の判断に対する行動の還元不可能性
アラン──それは「失効した哲学」か「承認された哲学」か
「〈傲慢な=推定的な〉行動」の権利回復
技術と科学の〈相互追い抜きレース〉
リスク、誤謬、無謀さ
創造的擬制=フィクション
結論
訳者あとがき
主要参考文献
序章 「仮面を被って進み出る」──哲学者カンギレム
逆説的な影響力を持った専門的な著作
カンギレムの戦闘的エピステモロジー
生命と論争
「生物学的規範性」という概念の形成
第一部 判断することと行動すること(1926─1934年)
──カンギレムと反省的「思考様式」
第一章 アラン
「剥き出しの事実」という概念の批判
カント認識論の人間学的地滑り
「真の哲学者」
第二章 反省的分析──ある哲学的「思考様式」
知覚することとは判断することである
アランとベルクソン──ある「流派の対立」
ラニョーと「カントの教え」
一九世紀末フランスのカント受容
第三章 〈私は考える〉
ラシュリエ──帰納の基礎
ラニョー──知覚の基礎
第四章 精神対世界
「根源的─論争的」統一
『海辺の対話』──悟性の哲学のためのマニフェスト
現実存在の衝撃
労働──人間的活動のパラダイム
第五章 反省的分析の道徳的帰結
認識の理論を経由する道徳
懐疑──自由の証拠
「自由の論理」
精神──価値づけの力能
移行のために──〈コギト〉の消尽
「個人的な問い」
〈私は考える〉解体の歴史
『言葉と物』を読むカンギレム
反省的「様式」は断念されるべきなのか
第二部 行動することと判断すること(1935─1939年)
──行動の火急性が悟性を超え出るということ
第六章 判断について
判断するとはいかなることか
判断すること、それは意志すること=望むことである
治療すること、それは判断することである
第七章 『ファシズムと農民』──マルクス主義と「裁かれた」歴史
歴史的必然性の哲学
唯物論とはフェティシズムである
価値の歴史性という問題──ストア派としてのアラン
アランの方法における死角
価値の唯一性という問題
第八章 超え出られる悟性
〈技術〉と価値の哲学
行動とは何か──崇高なるカヴァイエス
「デカルトと技術」──転換点となるテクスト
「生きているものの要求」
生きているもの──なおかつ人間として
第九章 必然性の判断に対する行動の還元不可能性
アラン──それは「失効した哲学」か「承認された哲学」か
「〈傲慢な=推定的な〉行動」の権利回復
技術と科学の〈相互追い抜きレース〉
リスク、誤謬、無謀さ
創造的擬制=フィクション
結論
訳者あとがき
主要参考文献
書評掲載
「図書新聞」(2017年9月2日号/近藤和敬氏・評)にて紹介されました。
「科学史研究」(2018年4月号/小林祐太氏・評)にて紹介されました。