カール・ローゼンクランツ(ローゼンクランツ,K.)
(Karl Rosenkranz)
1805–1879年。ヘーゲル学派に属するドイツの哲学者。マグデブルクで生まれ、ベルリン大学、ハレ大学、ハイデルベルク大学で神学と哲学を学ぶ。1828年にハレ大学で教授資格を取得し、31年にハレ大学の准教授、33年にケーニヒスベルク大学の教授となり、きわめて広汎な著作活動を展開して、文化と学問の発展に貢献した。おもな著作に『神学的諸学のエンチクロペディー』、『教育学の体系』、『学問の体系』、『醜の美学』(邦訳:未知谷)、『論理的理念の学』などがある。伝記には『カント哲学の歴史』、『シェリング講義』、『ヘーゲル伝』(邦訳:みすず書房)、『ゲーテ伝』、『ディドロ伝』などがあり、自伝に『マグデブルクからケーニヒスベルクへ』、論集には『研究論文集』(全五巻)と『新・研究論文集』(全四巻)がある。
寄川 条路(ヨリカワ ジョウジ)
1961年、福岡県生まれ。ドイツ・ボーフム大学大学院修了、文学博士。現在、明治学院大学教授。専門は思想文化論。和辻哲郎賞、日本随筆家協会賞などを受賞。おもな著書に『新版 体系への道』(創土社)、『ヘーゲル哲学入門』『初期ヘーゲル哲学の軌跡』(ナカニシヤ出版)、『構築と解体』(晃洋書房)、『ヘーゲル『精神現象学』を読む』(世界思想社)、『東山魁夷』(ナカニシヤ出版)、Das System der Philosophie und das Nichts(Alber)、編著に『新しい時代をひらく』『若者の未来をひらく』(角川学芸出版)、『グローバル・エシックス』(ミネルヴァ書房)、『メディア論』(御茶の水書房)ほか多数。
※上記内容は本書刊行時のものです。はじめに
序章 日本の登場
第一章 日本事情
第二章 日本の概観
第三章 日本の生物
第四章 日本の宗教
第五章 日本の歴史(1)
第六章 日本の身分制度
第七章 日本の歴史(2)
第八章 日本の歴史(3)
第九章 日本の文化
第十章 日本の司法
第十一章 日本の風俗
第十二章 日本の建築
第十三章 日本の産業
第十四章 日本人の社交
第十五章 日本の外交
終章 日本の課題
注
解説
文献一覧
訳者あとがき
著者のご許可を得て掲載させていただきます。
カール・ローゼンクランツ『日本国と日本人』(寄川条路訳)に寄せて
小磯 仁
ヘーゲル研究者だけではなく、広く世界史的見地から東西の文化・地政学にまたがる識見を有していたカール・ローゼンクランツ(1805-1879)に日本や日本人についての論考があっても不思議はないだろうが、もしそれが実在しても、これに目を通した人は多いとは言えまい。
今、我々はこの稀なるエッセイを身近く掌にし、触れることができるようになった。それが、ヘーゲルに精通した最適の訳者を得て成った本書『日本国と日本人』である。1860年、ドイツ・ケーニヒスベルク自然経済学会での講演だが、テクストは、『新・研究論文集』第一巻『文化史の研究』(1875)収録23篇の小論中の第17章「日本国と日本人」(326-359頁)に拠っている。すでにケンペル、シーボルトなど同じドイツ人でも日本の地に踏み入り、日本の国状に直接触れた先例者らとは異なり、一度も日本に行っていないにもかかわらず、このような優れた日本書が生まれえたのはなぜか。この問いへの回答こそが、まさしく本書の全内容ということになろう。ちょうど同時期ペリー遠征に同伴したドイツ人画家ヴィルヘルム・ハイネの画家の眼ならではの正確な日本の姿、土地、住宅などの細部にわたる報告(1856, 1858)や、ミュンヒェン大学のノイマン教授がラウマ―の『歴史文庫』(1858)の中で、これら最新の報告を、「激動する東西世界における日本国とその位置」のタイトルでまとめた要約は、1854年のアメリカ、ロシアによる開国、その後のイギリス、フランス、オランダも日本と条約を結ぶ中、プロイセン政府も1861年1月24日に江戸幕府と日普修好通商条約を結ぶに至る当時の政治交渉の進捗状況を正確に叙述しており、ローゼンクランツがケンペル、シーボルトらの歴史的な資料だけではない、これらプロイセン政府下の当代の最新の諸報告によって把握しうる限りの日本を吸収し学び取っていたのは疑いない。
こうして本書は、講演ならではのわかりやすさが全頁に貫かれ、訳者によって工夫された序章のあと終章までの全16章がそれぞれの小節で具体的な項目の説明をする構成となっている。それは日本と関わりを持った諸人物から始まり、概観・生物・宗教・歴史(1)~(3)、文化・司法・風俗・建築(第四節には「街道」に因んで「肥だめ」の「桶」や「お手洗いも手拭いが置かれてい」る描写(ハイネ)〔87-88頁〕まであり!)、産業・社交・外交・日本の課題までを含む、ドイツ人を居ながらにして日本へと案内してくれる最良の、日本と日本人を説明する紹介書となっているのも実に興味深い。
さらに重要と私が感じた一点は、訳者も触れている通り、ローゼンクランツがハイネの『世界周航日本への旅』を重視し参照しつつも、やはりヘーゲル学派を代表する思想家の一人として、冒頭でしるした、世界史的な文脈下に日本の鎖国の意味を理解し、この理解に基づいてこそ初めて開国がなされるべき根拠を指摘していた事実にほかならない。この開国が内発性ではなく、西洋からの外圧から生じたとの指摘もこの事実に関連する。彼の日本論の独自性と言えよう。
この事実は、日本がそれ自体で当時到達していた「それ自身で完結している」「完結性」=「孤立した小さな人類」ではありえても、やはり「人類は絶対的に一つのものであって民族の孤立を許すものではない」(100-101頁)の表現からもよくうかがわれる。その西洋列強も、一神教=キリスト教の絶対・唯一性を土台と背景に数世紀に渡り行ってきた植民地支配から、ようやく脱し終えたかに見えても、いぜんとして負の遺産に因る後遺症に苦悩し続けざるをえない現在、一民族の「孤立」は、実は日本だけの問題ではなく、ひとつの人類の理念(イデー)は、ヘーゲル(1770-1831)のテュービンゲン大学シュティフトの同級生ヘルダリーン(1770-1843)が、その学生時代に繰り返し初期讃歌で歌った中心の主題だった。この理念は、各民族、各宗教の固有性、歴史性を否定するものではない。それぞれの個を重んじつつ、おのれ以外の他者の固有性・歴史性をも尊ぶのだ。ヘルダリーンは詩人だったから、やがてこれが人間にいかに困難な理念かいっそう身に沁みて知るに至り、しかしその困難こそ正面から引き受け、自然と人間との乖離を遡及的・先駆的に正視しつつ、これもまた巨大な文学―思想空間を飛翔していった。孤絶しつつ、しかし同時に孤絶だけには非ざる存在となって、いくつもの境を越え、未来へと越境して行った。
本書の大きな特徴のひとつ、189項目もの著者が丹念に付した注(107-155頁)もよく出来ている。読者が、この注と巻末の解説もその都度参照しつつ本書を読むならば、一ドイツ人が、あの時代の日本を、可能なかぎり有りのままに同国人に伝えようとした本講演の意味するところをいっそう正確にとらえられよう。終始抑制の利いた叙述だが、やはり哲学者ならではの鋭敏な視点がいたるところで感じ取られるのも面白いし、日本書としてだけではなく、ドイツ書としても興味深いのではなかろうか。本書の初の邦訳の誕生を喜ぶ所以である。
平成27年5月10日
(山梨大学名誉教授)
書評掲載
「図書新聞」(2015年6月20日号/澤村修治氏・評)に紹介されました。
「読売新聞」(2015年6月14日付/前田英樹氏・評)に紹介されました。
「中央公論」(2015年8月号/山口文憲氏・評)に紹介されました。