日常化された死、情報の隔絶による果てしなき恐怖、玉音放送の衝撃、廃墟の中の笑いと希望──一瞬の閃光の下に出現された地獄絵図の只中で九死に一生を得、広島逓信病院長として自ら被爆者の治療に当たった著者が、ヒロシマの五十六日間の異常な体験のすべてを克明に記録し、極限に生きた人々の献身と勇気を渾身の力をこめた書き綴った稀有のドキュメント。
蜂谷 道彦(ハチヤ ミチヒコ)
明治36年(1903年)岡山県に生まれる。岡山県立矢掛中学校、第六高等学校を経て、昭和4年岡山医科大学卒業。その後、稲田内科にて研究。昭和12年学位を受け、同17年広島逓信病院院長。昭和22年から20年間、復興発展途上の広島市に住み、広島と共に暮らす。その間、原子爆弾調査委員、医師国家試験委員。昭和41年8月退官。昭和42年以後は郷里に帰り、晴耕雨読の生活に入る。昭和55年(1980年)4月13日死去。
※上記内容は本書刊行時のものです。1 地上最悪の日
昭和二十年八月六日/八月七日
2 焦土の中の病舎
八月八日/八月九日/八月十日/八月十一日
3 国亡びて山河あり
八月十二日/八月十三日/八月十四日/八月十五日
4 眠られぬ夜
八月十六日/八月十七日/八月十八日/八月十九日/八月二十日/八月二十一日
5 恐怖は果しなく
八月二十二日/八月二十三日/八月二十四日/八月二十五日/八月二十六日/八月二十七日/八月二十八日
6 あの犬も原爆症
八月二十九日/八月三十日/八月三十一日/九月一日/九月二日/九月三日/九月四日/九月五日
7 慢性原爆症患者
九月六日/九月七日/九月八日/九月九日/九月十日/九月十一日/九月十二日/九月十三日/九月十四日/九月十五日/九月十六日
8 あらしのあと
九月十七日/九月十八日/九月十九日/九月二十日/九月二十一日/九月二十二日/九月二十三日/九月二十四日/九月二十五日/九月二十六日/九月二十七日/九月二十八日/九月二十九日/九月三十日
あとがき
ピカから三十年(新版に当たって)
昭和二十年八月六日/八月七日
2 焦土の中の病舎
八月八日/八月九日/八月十日/八月十一日
3 国亡びて山河あり
八月十二日/八月十三日/八月十四日/八月十五日
4 眠られぬ夜
八月十六日/八月十七日/八月十八日/八月十九日/八月二十日/八月二十一日
5 恐怖は果しなく
八月二十二日/八月二十三日/八月二十四日/八月二十五日/八月二十六日/八月二十七日/八月二十八日
6 あの犬も原爆症
八月二十九日/八月三十日/八月三十一日/九月一日/九月二日/九月三日/九月四日/九月五日
7 慢性原爆症患者
九月六日/九月七日/九月八日/九月九日/九月十日/九月十一日/九月十二日/九月十三日/九月十四日/九月十五日/九月十六日
8 あらしのあと
九月十七日/九月十八日/九月十九日/九月二十日/九月二十一日/九月二十二日/九月二十三日/九月二十四日/九月二十五日/九月二十六日/九月二十七日/九月二十八日/九月二十九日/九月三十日
あとがき
ピカから三十年(新版に当たって)