暴力が日常を支配し、なにを言っても無駄という圧倒的な受動性のなかで、言葉はどんな可能性を持つのだろうか。「話すとは、断固として他人に対して存在すること」というファノンの主張を手がかりに、死者も含めて私たちという集合性を言葉を通じて獲得することを考える。他者と出会い、知るという行為を経て言葉は再び語りだし、そこから未来は始まるのだ。
冨山 一郎(トミヤマ イチロウ)
1957年生まれ。大阪大学大学院文学研究科をへて現在,同志社大学グローバル・スタディーズ研究科教授。著書に『近代日本と「沖縄人」』日本経済評論社,1990年,『戦場の記憶』日本経済評論社,1995年(ハングル版,2002年),『暴力の予感』岩波書店,2002年(ハングル版,2009年),『流着の思想』インパクト出版会,2013年(ハングル版,2015年)ほか。編著に『記憶が語り始める』東京大学出版会,2006年,『ポスト・ユートピアの人類学』(石塚道子・田沼幸子共編)人文書院,2008年,『現代沖縄の歴史経験』(森宣雄共編)青弓社,2010年,『コンフリクトから問う』(田沼幸子共編)大阪大学出版会,2011年,『あま世へ』(森宣雄・戸邉秀明共編)法政大学出版局,2017年,『軍事的暴力を問う』(鄭柚鎮共編)青弓社,2018年など。
※上記内容は本書刊行時のものです。序章 尋問空間
第I部 始まり
第一章 予感する
第二章 流着する──巻き込まれる/引き受ける
第II部 沖縄から
第三章 戒厳状態としての沖縄
第四章 出会う場
第五章 単独決起、無数の「S」へ
終章 確保する、あるいは火曜会という試み
補論1 接続せよ! 研究機械──研究アクティヴィズムのために
補論2 大学の危機?
補論3 醜い顔
あとがき
第I部 始まり
第一章 予感する
第二章 流着する──巻き込まれる/引き受ける
第II部 沖縄から
第三章 戒厳状態としての沖縄
第四章 出会う場
第五章 単独決起、無数の「S」へ
終章 確保する、あるいは火曜会という試み
補論1 接続せよ! 研究機械──研究アクティヴィズムのために
補論2 大学の危機?
補論3 醜い顔
あとがき
書評掲載
「出版ニュース」(2018年8中旬号)に紹介されました。
「図書新聞」(2018年9月18日号/上野俊哉氏・評)に紹介されました。
「東京新聞」(10月28日付・田仲康博氏評)に紹介されました。