クレール・マラン(マラン クレール)
(Claire Marin)
1974年、パリに生まれる。2003年にパリ第四大学(ソルボンヌ)で哲学の博士号を取得。「現代フランス哲学研究国際センター」のメンバーを務めるとともに、セルジー=ポントワーズのリセ、アルフレッド・カストレ校のグランゼコール準備クラスで教鞭をとる哲学者である。自らが多発性の関節炎をともなう自己免疫疾患に苦しめられ、厳しい治療生活を送ってきた患者(当事者)でもあり、その経験を起点として、「病い」と「医療」に関する哲学的な省察へと歩みを進め、精力的な著作活動を続けている。著書に、『熱のない人間――治癒せざるものの治療のために』(鈴木智之訳、法政大学出版局、2016年)、自らの経験を小説として綴った作品『私の外で――自己免疫疾患を生きる』(鈴木智之訳、ゆみる出版、2015年)などがある。
鈴木 智之(スズキ トモユキ)
1962年生まれ。法政大学社会学部教授。著書に、『村上春樹と物語の条件――『ノルウェイの森』から『ねじまき鳥クロニクル』へ』(青弓社、2009年)、『眼の奥に突き立てられた言葉の銛――目取真俊の〈文学〉と沖縄戦の記憶』(晶文社、2013年)、『死者の土地における文学――大城貞俊と沖縄の記憶』(めるくまーる、2016年)、『ケアとサポートの社会学』(共編、法政大学出版局、2007年)、『ケアのリアリティ――境界を問いなおす』(共編著、法政大学出版局、2012年)。訳書に、A・W・フランク『傷ついた物語の語り手――身体・病い・倫理』(ゆみる出版、2002年)、B・ライール『複数的人間――行為のさまざまな原動力』(法政大学出版局、2013年)、G・サピロ『文学社会学とはなにか』(共訳、世界思想社、2017年)、C・マラブー『偶発事の存在論――破壊的可塑性についての試論』(法政大学出版局、2020年)などがある。
※上記内容は本書刊行時のものです。1 病いと同一性
2 自分を見失う苦しみ
3 見知らぬ身体
4 他人の顔
5 存在論的動揺
6 新しい自己の習慣としての治療
謝辞
訳者あとがき
参考文献
書評掲載
「琉球新報」(2022年01月23日付/皆藤章氏・評)に紹介されました。
「信濃毎日新聞」(2022年01月29日付/皆藤章氏・評)に紹介されました。
「愛媛新聞」(2022年01月30日付/皆藤章氏・評)に紹介されました。
「熊本日日新聞」(2022年01月30日付/皆藤章氏・評)に紹介されました。
「大分合同新聞」(2022年02月06日付/皆藤章氏・評)に紹介されました。
「神奈川新聞」(2022年02月13日付/皆藤章氏・評)に紹介されました。
「長崎新聞」(2022年02月13日付/皆藤章氏・評)に紹介されました。
「佐賀新聞」(2022年02月13日付/皆藤章氏・評)に紹介されました。
「中國新聞」(2022年03月06日付/皆藤章氏・評)に紹介されました。
「山陰中央新報」(2022年03月19日付/皆藤章氏・評)に紹介されました。
「図書新聞」(2022年04月02日号/杉山直樹氏・評)に紹介されました。
「看護展望」(2022年05月号/皆藤章氏・評)に紹介されました。