カール・コリーノ(コリーノ カール)
(Karl Corino 1942-)
バイエルン州北部に農場主、音楽家の息子として生まれる。ディンケルスビュールの古典語ギムナージウムに学び、16歳のときローベルト・ムージルの短篇「グリージャ」と、『特性のない男』の数章を読み、この出会いが生涯を決定する。エアランゲン大学およびテュービンゲン大学でドイツ語ドイツ文学、古典文献学、哲学を研究。1969年テュービンゲン大学のバイスナー教授のもと、ムージルの『合一』についての論文により博士号取得。ヘッセン放送局文化部に入社し、1985年から文化部長。その後フリーの著述家としてテュービンゲンに在住。ピサ、セントルイス、エッセンにおいて客員教授、ベルリン学士院フェロー、I. バッハマン賞審査委員など。ムージルの伝記的研究の第一人者。
早坂 七緒(ハヤサカ ナナオ)
訳者代表。1947年生まれ。東京大学大学院博士課程中退。中央大学教授。Robert Musil und der genius loci (Wilhelm Fink Vlg.)、『ムージル読本』(共訳・法政大学出版局)など。国際ムージル学会員。
北島 玲子(キタジマ レイコ)
1953年生まれ。大阪大学大学院博士課程単位取得退学。文学博士。上智大学教授。『終りなき省察の行方──ローベルト・ムージルの小説』(上智大学出版)、『エリアス・カネッティ伝記』(共訳・上智大学出版)など。
赤司 英一郎(アカシ エイイチロウ)
1953年生まれ。東京大学大学院博士課程単位取得退学。東京学芸大学教授。『思考のトルソー・文学でしか語られないもの――ローベルト・ムージルの小説の方法について』(法政大学出版局)、『ムージル 思惟する感覚』(共著・鳥影社)など。国際ムージル学会員。
堀田 真紀子(ホリタ マキコ)
1965年生まれ。東京大学大学院博士課程中退。元北海道大学准教授。『ナウトピアへ――サンフランシスコの直接行動』(インパクト出版会)、『ムージル・エッセンス』(共訳・中央大学出版部)など。
高橋 完治(タカハシ カンジ)
1965年生まれ。東京大学大学院博士課程単位取得退学。法政大学非常勤講師。「ムージルに於ける〈視線〉の形」(東京大学『詩・言語』第51号)など。
渡辺 幸子(ワタナベ ユキコ)
1971年生まれ。東京都立大学大学院博士課程単位取得退学。明治大学非常勤講師。『インタヴューズ』(共訳・三修社)など。
満留 伸一郎(ミツドメ シンイチロウ)
1973年生まれ。東京大学大学院博士課程単位取得退学。東京藝術大学非常勤講師。「方法の生まれる国―カカーニエン、あるいは、ある〈全体性〉の強いられたストラテジー」(『オーストリア文学』第23号)、ヴォルフガング・ウルリヒ著『芸術とむきあう方法』(翻訳・ブリュッケ)など。
※上記内容は本書刊行時のものです。*17〜32は第2巻に所収
33 「そこではドイツの緊迫した精神生活がじかに感じとれるので……」
──ベルリンという知的な環境。一九三一年~一九三三年
34 「これ以上はもう無理だ」
──一九三〇年代前半の困難な出版事情、経済的困窮、ベルリン・ムージル協会の設立
35 「特性のない男」から「特性のない民族」へ
──『特性のない男』第二巻の反響
36 「歴史の混乱ではなく、歴史の一段階」か?
──ムージルと一九三三年以後の政治
37 転居して、長らく窮状に、出版業者のこと
──ムージル基金の設立
38 非政治的人間の政治的登場
──「文化擁護のための国際作家会議」とその帰結
39 「轟音が響き、あえぐ世界のただなかの、ほんのささやかな物語」
──『生前の遺稿』
40 生の危機と愚かさ、生命にかかわる愚かな言動
──オーストリア等族国家の末期
41 感情と情熱のいとなみ
──『特性のない男』ゲラ刷りの章(一九三八年)
42 「この空の下では息ができない」
──オーストリア併合とムージルの亡命
43 「この世の最良の地」
──スイスでの亡命生活──チューリヒ ペンション・フォルトゥーナ
44 「まるでぼくはもう存在していないかのようだ」
──ジュネーブ時代
45 「あまりに長く続く不遇の日々に、力つきて」
──作品を蘇らせるためのマルタの報われぬ戦い
主要人名・地名・事項一覧
年譜および居住・滞在の軌跡
訳者あとがき
参考文献
索引
書評掲載
「図書新聞」(2016年7月2日号/岡田素之氏・評)にて紹介されました。