ルソーが「一般意志」に基づく人民主権という仕方で社会思想として提示し、カントとフィヒテが「実践理性」や「自我」の原理のもとで哲学的に基礎づけようとした「自律」の概念を、ヘーゲルが「精神」のもとで把握し直そうとしたことの意味と射程を明らかにする試み。『イェーナ体系構想Ⅲ』と『精神現象学』に照準を定めつつ、ヘーゲルの「実践哲学」がもつ可能性を現代の思想状況のなかで問い直す。
小井沼 広嗣(コイヌマ ヒロツグ)
1979年東京都生まれ。国際基督教大学教養学部卒業。法政大学大学院人文科学研究科博士後期課程単位所得退学。博士(哲学)。現在、法政大学兼任講師、東京工芸大学非常勤講師、学校法人四恩学園勤務。専門は哲学、倫理学。主な論文に「ヘーゲルにおける意志論と衝動の陶冶――フィヒテとの対決を視軸として」(『倫理学年報』第65集、2016年、日本ヘーゲル学会研究奨励賞・論文部門受賞、法政哲学会泰本賞受賞)、共著に『ヘーゲルと現代社会』(晃洋書房、2018年)、『ヘーゲル講義録入門』(法政大学出版局、2016年)、共訳書にオットー・ペゲラー編『ヘーゲル講義録研究』(法政大学出版局、2015年)、ロバート・B・ピピン『ヘーゲルの実践哲学――人倫としての理性的行為者性』(法政大学出版局、2013年)がある。
※上記内容は本書刊行時のものです。凡 例
略号一覧
序 章
第一節 本書の狙い
第二節 問題の所在、および本書の基本スタンス
第三節 取り上げるテキストについて
第四節 各章の概要
第一部 『イェーナ体系構想Ⅲ』における意志論と人倫構想
第一章 意志論と衝動の陶冶──フィヒテの衝動論との対決を軸として
はじめに
第一節 フィヒテの実践的知識学における衝動論
第二節 イェーナ前期におけるフィヒテ批判とその克服の試み
第三節 イェーナ後期における意志論の形成
第四節 《衝動の陶冶》の過程──自己外化を介した自己認証
小 括
第二章 陶冶論と普遍意志の構成──ルソーの国家論との対決を軸として
はじめに
第一節 ルソーによる《自由人の共同体》の構想
第二節 ヘーゲルによる「普遍意志の構成」の意味
第三節 「承認された状態」を具体化するものとしての普遍意志
第四節 国家創設期における強制と陶冶
小 括
第二部 『精神現象学』における精神の生成
第三章 カントとフィヒテにおける自我論と共同主観性の問題
はじめに
第一節 カントの統覚論
第二節 フィヒテの自我論
第三節 カント哲学における《共同主観性》の萌芽
第四節 フィヒテによる《共同主観性》の主題化
小 括
第四章 無限性と欲望──《意識は本質的に自己意識である》というテーゼをめぐって
はじめに
第一節 自己意識の基本構造
第二節 「自己意識は欲望一般である」というテーゼの解釈をめぐって
第三節 悟性に潜在する自己意識と欲望
第四節 《意識は本質的に自己意識である》というテーゼの意義と射程
小 括
第五章 否定性を介した《共同主観性》の生成過程──「自己意識」章の意識経験をめぐって
はじめに
第一節 生命と自己意識──自覚なき類と自覚的な類
第二節 「直接的な欲望」から「承認」へ
第三節 《承認をめぐる闘争》の意義と制約
第四節 《主人と奴隷の弁証法》の意味するもの
第五節 「思考する」自己意識の成立とその展開
小 括
第六章 「統覚の統一」から「精神」へ──「理性」章におけるカテゴリーの展開
はじめに
第一節 カントの統覚論とヘーゲルによる両義的評価
第二節 カテゴリーの基本構造とその展開の到達点──「無限性」と「精神」
第三節 「観察する理性」、「行為する理性」の特質とその制約
第四節 カテゴリーの充実態としての「事そのもの」
第五節 カント的な実践理性の克服と精神の成立
第六節 精神の基本構造とその自律性
小 括
第三部 『精神現象学』における道徳性とカント批判
第七章 幸福の問題──カントの「最高善」との対決を軸として
はじめに
第一節 カントの実践哲学における「幸福」概念ならびに「最高善」
第二節 青年期のヘーゲルにおける歴史認識と幸福の問題
第三節 『精神現象学』における「幸福」達成の理路
第四節 《道徳と幸福の一致》の帰趨
小 括
第八章 道徳的行為主体における悪とその克服──「良心」論をめぐって
はじめに
第一節 カントにおける《悪の克服》の問題
第二節 良心において再燃する二元論
第三節 二つの良心間の対立と「偽善」
第四節 良心間における相互承認の成立
第五節 「事そのもの」の「主体」化としての良心
小 括
終 章
第一節 本書の歩み
第二節 自律を精神のもとで把握したことの意義
第三節 今後の課題と展望
あとがき
参考文献一覧
事項索引
人名索引
略号一覧
序 章
第一節 本書の狙い
第二節 問題の所在、および本書の基本スタンス
第三節 取り上げるテキストについて
第四節 各章の概要
第一部 『イェーナ体系構想Ⅲ』における意志論と人倫構想
第一章 意志論と衝動の陶冶──フィヒテの衝動論との対決を軸として
はじめに
第一節 フィヒテの実践的知識学における衝動論
第二節 イェーナ前期におけるフィヒテ批判とその克服の試み
第三節 イェーナ後期における意志論の形成
第四節 《衝動の陶冶》の過程──自己外化を介した自己認証
小 括
第二章 陶冶論と普遍意志の構成──ルソーの国家論との対決を軸として
はじめに
第一節 ルソーによる《自由人の共同体》の構想
第二節 ヘーゲルによる「普遍意志の構成」の意味
第三節 「承認された状態」を具体化するものとしての普遍意志
第四節 国家創設期における強制と陶冶
小 括
第二部 『精神現象学』における精神の生成
第三章 カントとフィヒテにおける自我論と共同主観性の問題
はじめに
第一節 カントの統覚論
第二節 フィヒテの自我論
第三節 カント哲学における《共同主観性》の萌芽
第四節 フィヒテによる《共同主観性》の主題化
小 括
第四章 無限性と欲望──《意識は本質的に自己意識である》というテーゼをめぐって
はじめに
第一節 自己意識の基本構造
第二節 「自己意識は欲望一般である」というテーゼの解釈をめぐって
第三節 悟性に潜在する自己意識と欲望
第四節 《意識は本質的に自己意識である》というテーゼの意義と射程
小 括
第五章 否定性を介した《共同主観性》の生成過程──「自己意識」章の意識経験をめぐって
はじめに
第一節 生命と自己意識──自覚なき類と自覚的な類
第二節 「直接的な欲望」から「承認」へ
第三節 《承認をめぐる闘争》の意義と制約
第四節 《主人と奴隷の弁証法》の意味するもの
第五節 「思考する」自己意識の成立とその展開
小 括
第六章 「統覚の統一」から「精神」へ──「理性」章におけるカテゴリーの展開
はじめに
第一節 カントの統覚論とヘーゲルによる両義的評価
第二節 カテゴリーの基本構造とその展開の到達点──「無限性」と「精神」
第三節 「観察する理性」、「行為する理性」の特質とその制約
第四節 カテゴリーの充実態としての「事そのもの」
第五節 カント的な実践理性の克服と精神の成立
第六節 精神の基本構造とその自律性
小 括
第三部 『精神現象学』における道徳性とカント批判
第七章 幸福の問題──カントの「最高善」との対決を軸として
はじめに
第一節 カントの実践哲学における「幸福」概念ならびに「最高善」
第二節 青年期のヘーゲルにおける歴史認識と幸福の問題
第三節 『精神現象学』における「幸福」達成の理路
第四節 《道徳と幸福の一致》の帰趨
小 括
第八章 道徳的行為主体における悪とその克服──「良心」論をめぐって
はじめに
第一節 カントにおける《悪の克服》の問題
第二節 良心において再燃する二元論
第三節 二つの良心間の対立と「偽善」
第四節 良心間における相互承認の成立
第五節 「事そのもの」の「主体」化としての良心
小 括
終 章
第一節 本書の歩み
第二節 自律を精神のもとで把握したことの意義
第三節 今後の課題と展望
あとがき
参考文献一覧
事項索引
人名索引